2012年03月29日

気仙沼の人々


移動も含め4日間、気仙沼にて被災地ボランティアをしてきました。

人々の、強さ、美しさに、胸を打たれました。

見た来たもの、触ってきたものを、事実として書き記しておこうと思います。



海沿いの町並み。

昨年の夏に、石巻、大船渡を訪問した時よりは、ガレキが片づけられていて、復興が進んでいるのがわかる。

でも、倒壊した建物は非常に痛ましい。

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流された路線バス。

乗客はいたのだろうか。

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ぐちゃぐちゃになった無数の車が、山積みになっていた。

なんという大量の数!

ここまでぺしゃんこになった車の中に、乗っていたかたたちは・・・・一体・・・・

「車を使わず、走って逃げた人たちは助かったんですよ。車は渋滞しちゃったから、津波にのまれちゃった」

と、現地の方は言っていた。

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お笑い芸人のサンドイッチマンさんが避難したという丘の上からの景色。

ここから、津波が街を襲うのがよく見えたらしい。

住民のかたたちはどんな気持ちで、自分の町が破壊されていくのを見ていたのか。

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気仙沼港にて。

強い悪臭が、すごかった。

慰霊のお祈りをし、清めのお酒とお塩を海にまいた。

お祈りを始めた途端、突然、暴風が吹き吹雪になった。

亡くなった方々の、無念の叫びだろうか。

写真は、お祈り前の晴れている風景。 ここから、突然、吹雪になった。

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巨大な船が、国道沿いに突然、置き去りにされている。

こんな重たい船まで、こんなに遠くまで押し流されてきたのか。

この、巨大船の下に、30センチくらいにぺしゃんこにつぶれた乗用車があった。

船の下から、タイヤとドアがわずかに見えて、ほとんど原形をとどめていない車。

中に、人がいたのかどうかもわからず、そして、それを知るすべもない。

冥福を祈ります。

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重要文化財になっている、オール木造の中学校にて。

津波に飲まれた写真や、卒業アルバム、賞状や、通知表、寄せ書きなど、思い出の品の修復をして、展示している。

一日に10〜20人くらいの方々が、自分の思い出を探しにくるそうだ。

「ここまで車がなくてこれない方もいるし、それと、まだ写真を見る心の状態じゃない方もいるんです。だから、ここにはまだまだ、持ち主に引き取られていない写真がたくさんあるんです。」

と、職員の方は言う。

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海水と、泥で、ドロドロバリバリになったアルバムから、一枚一枚、丁寧に写真をはがしていく。

旅行に行ったり、子供が生まれたり、そのかたの節目節目を拝見しながら、作業をしていく。

この写真のかたたちから、ものすごい強い「なにか」を感じて、頭痛がするほどだった。

この写真のかたはもう、この世にはいないのかもしれない。

海水にひたると、写真はバクテリアに食われていくそうだ。

インクが食われて、まるで、画像がほとんど残っていないものもある。

写真という「生きた証」を、一枚一枚、丁寧に、指でやさしくこすって、バクテリアを洗浄する。

写真の中の方々に、慰霊の祈りをしながら、心をこめて「生きた証」をきれいにした。

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「こないだ、妹の写真が偶然でてきたんですよね。」

という、職員の方。

20歳そこそこくらいの、茶色い髪をした若い女性だ。

「私の写真もみつけたら教えてくださいね。わたしのうちも、全部流されちゃったんで。」

あっけらかんと言うその言葉に、なんと答えていいかわからなくなる。

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軍手をはめて、荷物運搬や、ほうきで清掃作業を行う。

慣れない肉体労働に、くたくたになった。

「こうやって、ガレキもひとつひとつ、片づけていったんですよね。」

ボソッ、とつぶやく職員の男性の言葉に、これまでコツコツ苦労してきた重みを感じる。

ボランティアンターや、災害復旧関係のお仕事についてらっしゃる方は、たいていが「緊急雇用体制」としてやってらっしゃるようだ。

ということは、今までのお仕事が無くなってしまった方ばかり・・・つまり、職場が津波で流されてしまった方ばかり・・・・ということだ。

もともとは、魚屋だったかたや、カフェをしていたかたなど、以前の職場、、または自宅が流されて、正真正銘「ゼロ」になってしまった、つらい背景を想像してしまう。

本当に、被災された方々は、強く、たくましく、美しい。

見習わなければいけない。

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もう、3カ月もボランティアをしている山形の男性。

ホテルではなく、車で寝泊まりし、毎日、カップラーメンを食べているそうだ。

年末年始から、この極寒の気仙沼を、車の中で過ごしたのだ。

きっと、思うところがあって、これほどまでにがんばってるのだろう。

その尊い気持ちに、頭が下がる思いだ。

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東京に、戻ってきたくなかった。

もっと、現地で働きたかった。

心を気仙沼に残しつつ、長距離運転しながら帰ってきた。

ボランティアを、ただの「自己満足」で終わらせないために、これからも、苦しんでいる日本のために、お役にたてることをしていきたいと思う。

亡くなった方々、頑張っている現地の方々に、心をこめて、合掌。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 癒し〜ヒーリング〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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