生まれて初めて、稲刈りのお手伝いをさせていただきました。
機械で稲を刈っていき、紐や古い藁で縛って一束になった稲を運んで、竹の棒で作った台にかけて干していきます。
稲を竹棒にかけるときは、6:4の割合になるように開いて、それを、一つずつ交互になるようにかけていきます。
そうすると、乾燥しやすいそうです。
先日の台風で、稲が大分倒れてしまい、機械で刈れないところは、手で刈っていきます。
腰を屈め、ひとつひとつ稲をつかんで刈っていくのは、本当にご苦労なことです。
私は初めてでしたので、刈り取った稲の束の運搬と、竹棒にかける作業をやらせていただきました。
実際に、泥と藁にまみれて作業をしてみてわかったことは、お百姓さんたちの大変なご苦労。
そして、さらには、たくさんの命が犠牲になっていることでした。
稲を刈るときに、カエルやイモリが死んでいるのをたくさんみました。
機械にひかれてしまうのです。
束になった稲に挟まっていたり、田んぼに横たわっていたり、足だけ稲に挟まれ、血を流しながら悶えているカエルもいました。
なんて、かわいそうなんだろう。
申し訳ない気持ちで、胸が痛みます。
私はベジタリアンで、お肉やお魚はいただきません。
「非暴力」という意味で考えれば、もちろんお野菜も同じ生き物ですが、「動物を食べる」という面で考えれば、お野菜をいただくことは「非暴力」にならないのではないか…?、と考えていましたが、そうではないのだということを知りました。
こうしてお米を収穫するにも、お野菜を育てるためにまく農薬にも、犠牲になっている「いのち」がたくさんあるということを知りました。
誰にも気づかれず、気にもとめてもらえないけれど、私たちのために「いのち」を落としている「生き物」が数えきれないほどいる…、という事実を知りました。
切なくて、切なくて、たくさんの小さな命を犠牲にしてまで、こんな私みたいな人間が生きていることが申し訳ない。
だからといって、極端に、「なにも食べてはいけない」ということではなく、この事実を知って、ありがたくいただかなければいけないのだ、と思います。
このショックを忘れないようにして、きちんと感謝してお食事をしなければいけない…、と強く思いました。
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読んでいて痛いほど
ユキさんの気持ちが伝わりました。
誰かの犠牲の上に成り立っている
私のこの「いのち」が、少しでも
お役にたてるよう努めたいです。
本当にそうですね。
血を流して、首をぱっくり切られてしまったイモリや、お腹がザックリ割かれて土に寝ているウシガエルの姿が目に焼き付いています。
あんなにたくさんの命を犠牲にして、わたしは本当に「生かされている」と感じます。
頂いていているこの命。
人のお役に立てるよう、がんばりたいです。