キリッとした冷たい空気が、寝起きの身体をほどよく刺激して目覚めさせる。
濃い靄がかかった今朝は、息を吸うたびに、一緒に水を呑んでいるかのような気分になる。
霧は好きだ。
そこに、空気があって、動いて踊っているのがよくわかるから、
この地上の恩恵を信じることができる。
ピンク色のニット帽を目深にかぶり、耳まですっぽり覆っている。
霧の中を歩くと、顔の肌がしっとり濡れていく。
白い水のカーテンがゆらゆらと揺れる、その湿気の中に時折、太陽の光が気まぐれに腕を伸ばしては消えて、
ああ、そこに太陽がいたのか、と思い出させる。
建物も、木々も、草も、しっとりと濡れて、まるで、スチームトリートメントを受けている至福の時のように見える。
寒くても、こんな美しい朝は好きだ。
足取りが自然とゆっくりになり、まるで水の中を歩いているかのように、身体の周りを繊細に感じている。
愛犬Momoの柔らかな白い毛は、徐々に湿気を含んでいき、10分おきくらいにブルブルッ!と身体を震わせて水を払っている。その愛らしい姿がたまらなく愛しい。
ドイツの冬はほとんど太陽がでないから、厚い雲の向こうに時々見える太陽の気配に、まるで遠くに住む親友を慕うような気分になる。
三角に尖った屋根の白い大きな一軒家の近くまで行くと、突然Momoは落ち着かなくなりグイグイとリードを引っ張り出した。
あ、いた。
庭の入り口のフェンス越しに、チョコンと座っている犬がいる。
彼女の名前はMaloo。ミニチュアアメリカンシェパードの女の子だ。
Malooの身体はMomoよりも二回りほど大きいのだけれど、二人は赤ちゃんの頃から一緒に遊んでいる親友同士だ。
Malooは、まるで、私たちが通るのを知っていて、ずっとそこで座って待っていたかのように、当然のように、どっかりとフェンスの前を陣取りこちらを見ていた。
私たちは、毎日、ここを通るわけでもないし、決まった時間に来るわけでもないのに、Malooは私たちが今日、この時間に、ここに来ることをすでに知っていたのだろう。
小さくクルンと丸まっているかわいい尻尾をプリプリ降りながら、大喜びで飛ぶようにして駆け寄るMomoに、Malooはフェンスの下の隙間から顔を出せるだけ出して、一生懸命歓迎している。
鼻を近づけあって、匂いを嗅ぎあって、興奮してブルブルとジタバタとキュンキュンと、喜びを交わす。
まるで10年ぶりに会うかのようなはしゃぎようだ。
2日前には、芝生の上で一緒にレスリングをしたというのに。
犬たちは本当にシンプルだ。
犬になりたい・・・、と私はいつも思う。
動物のように、ただシンプルに地球に属して生きる存在でいられたら、と。
ひとしきり、お尻を振りあった後、Momoは急にふいっ、とMalooから離れて歩き出そうとする。
それはもう本当に突然。
さっきまでのモーレツラブが一気に消える。
なんだか、あっけなくて、驚いてしまう。
犬たちは本当にシンプルだ。
想いのたけを表わして、気が済んだら、もうあとくされが全くない。
背中を向けたMomoに、フェンスの向こうでふさふさした尻尾を大きく揺らしているMalooに向かって
「Have a nice day Maloo. 良い一日になりますように、Maloo!」
と私は愛を込めて言い投げた。
私は外国語で話すときこの文化が好きだ。
Malooから去り、Momoを足元に歩きながら
「Of course she will have a nice day. そりゃもちろん、彼女にとって良い一日になる」
という言葉が返ってきたように感じた。
そりゃそうだよ、だって、犬たちはいつだって、地球や宇宙に委ねていて、抱かれているのだから、
自分の存在を疑ったり、
自分をジャッジしたり、
他人を評価したり、
不自然であることを取り組もうとしたり、
自分は愛されていないと嘆いたり、
そういったことは、きっとないのだと思う。
地球からも宇宙からも愛されていることを知っているから、自分は愛されて当然だと知っている。
だから、なんの不安なく、喜びや愛を分け与えることができる。
そんな彼らの毎日が、よい一日にならないわけがない。
そう考えたら、
私も地球から愛されている、
こうして空気中の水からも育まれ、
遠くの親友の太陽も私に光を届けてることを忘れずにいてくれている。
私は、抱かれているのだから、委ねていればよいのだ。
「Have a nice day Yuki」
自分で自分に言ってみた。
私の今日が、毎日が、良い一日にならないわけがない。
「Have a nice day to all! すべての人に!」
自分に向けて言ったら、ご縁のあるすべてのひとにも言いたくなった。
私と繋がるすべての人が、愛し愛され、満たし満たされる一日になりますように!
私たちの今日が、良い一日にならないわけがない。
身体が軽く感じる。
でも、急いで歩いてしまうにはもったいない、ポジティブで良い気分だから、
ゆっくりと、一歩一歩を踏む振動を、骨に、関節に、筋肉に、内臓に、響かせよう。
私がここにいて、ここに存在して、生きて、動いて、命を過している、この振動を身体で受け止めよう。
私の一日が、良い一日にならないわけがない。
私の人生が、良い人生にならないわけがない。
私の命が、良い炎で燃えないわけがない。
まったくもって、その通りだ。
私は、抱かれ。そして委ねている。
うん。よし。いいぞ。
なんて良い気分。
幸せモードはスイッチひとつ。
受け取り方、考え方、ものの見方の切り替えだ。
犬から毎日、たくさんの大切なことを教えてもらっている。
動物は大先生だ。
鼻から吸う空気が、しっとりと私の内側を潤していく。
住宅街の家の間を、霧がゆっくりと移動しているのが見える。
反対側の三階建ての家の玄関のアドヴェントのリースがかかったドアが開き、厚みのある老婆がむっくりと出てきて、新聞受けに手を伸ばしている。
路地の交差する角の向こうで、白と黒のぶち模様の猫が霧の中、何をするでもなく座ってこちらを見ている。
テコでもそこから動かないつもりでいるらしい、重たく空にへばりついた雲のフィルター越しに、漫画みたいな丸い太陽らしき面影が見える。
日常の瞬間が、まるで、写真集の中の1ページのように、美しく切り抜かれて、私の細胞に記憶されて行く。
瞬きをするのももったいないほど、この瞬間で起こる、私の世界の景色が尊く感じる。
私は生かされている。
命を与えられている。
ここに在るということは、なんて素晴らしいのだろう。
こんな美しい朝が、とても好きだ。