《肉体は祈り》
ヨーガアーサナを通して伝えたい素晴らしいことがあります。
私がアーサナをしているときは、
完全に明け渡して、ただただ「祈り」として身体を使っています。
この身体の中心と繋がりながら動くことで、地球のすべての存在の「中心」との繋がりへの祈り。
この身体と寄り添いながら動くことで、地球へ寄り添い、地球の命へ寄り添っているという祈り。
動きの中で、エネルギーが天と地の方向へと向いて、天と地を私の動きが繋いでいること、それに気づいていることが祈り。
自分の身体に「与える呼吸」をすることで、地球のすべてに「与えている」という祈り。
この呼吸、この汗、すべての関節から繰り出されるムーブメント、すべての筋肉から生まれだされる支えあう力、
そのすべてを見守っている私の意識、そして、完全に自分の身体を信頼していること、
大いなる目線で、身体と動きを見守り、育み、養い、与え、受け入れ、認める・・・
意識を内へと、全体と繋がる、すべてが、祈り。
それを経験するモーメントが、私にとってのアーサナです。
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すべてのアーサナは礼拝となり、その礼拝は、この肉体と、その肉体が織りなす動きによって生まれます。
そして、この肉体とは、紛れもなく地球に属していて、地球の細胞の一つであり、
私という一つの細胞が、肉体と動きと意識を全体に注ぐことによって、
地球すべてへの祈りとなります。
なぜなら、私は地球の細胞の一つ、だから、私は地球なのです。
この私という小さな細胞で起こっていることは、確実にほかの細胞たちにも繋がっているし、
目に見えるとか、頭で理解できるとか、そういったところを超えた大きな部分で、
私は全体の一部なのだから、私に起こる出来事は、地球のほかの細胞にも響きます。
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「命」とは「動き・ムーブメント」です。
肉体を動きの中で意識し、そして自分を大きく拡大しながら、個である中心と繋がっていくと、
それは私の「命」の活性となって、地球全体への祈りに変えていくことができます。
私のヨーガは、そういうヨーガです。
それを、生徒さんがどこまで受け取ってくださるのかは、そのかた次第なわけですが、
少なくとも、わたしが伝えたいのは、そういうことなのです。
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私がヨーガと名の付くエクササイズを指導し始めて、20年が経ちます。
その前には、ジムトレーナーをしていたり、ダンスを教えていましたから、その頃から数えると23年ほど、身体に関わる指導をしています。
最初はジムでするタイプのヨーガ指導から始まりましたが、徐々に、真髄へと移行していきました。
インド渡航歴は20回ほど、ヒマラヤのアシュラムで世界中の人を相手にティーチャーをしていたこともあります。
そして、指導者になる前から実践者でありましたから、かれこれ、27年くらいは身体を意識的に使うことをしていまして(ダンサーで毎晩ステージで踊ったり、サーカスパフォーマンスで数回ショーに出たりという稀有な経験もあったりして)、身体を通して、たくさんの魂の学びをしています。
そして、これだけ長く実践者・指導者として生きてきていても、
今もなお、まったく飽きもせずに、身体の神聖さ、身体が持つスピリチュアリティに、
まだまだ、ずっと夢中で、
自分の身体の動きを通してする瞑想から、毎日たくさんの魂の気づきを教えられています。
私のヨーガは、瞑想です。
そして、
私が伝えたいのは、身体の動きを祈りにすることです。
そして、
私自身アーサナから学んでいるのは、地球との繋がりです。
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まさに、アーサナは、身体でムードラーを形作っているということを実感しています。
意識次第で、エネルギーの流れ、動き、循環が、
アーサナごとに大きく変化するのが
ありありとわかります。
ムードラーとは日本語で、印を結ぶ、という意味です。
私は、机上のお勉強で学んだことは、かなりさっぱりとわりとすぐに忘れていってしまいますが、
自分の肉体を伴う経験を持って学んだことは、いつまでも身体が覚えています。
ですので、このアーサナはこうでああで・・・、というお勉強レベルのことを教えるのは私の役割ではありませんが、
その印を結んだ肉体から、どう受け取るのか、どう感じるのか、ということをシェアすることにはとても長けています。
そして、それこそが、私が皆さんに、アーサナから受け取っていただきたいことであって、
身体が柔らかいとか硬いとか、ポーズができたとかできないとか、痩せるとか、ポーズの名前を覚えるとか、
そういったことは、私には、とにかくどうでもよくて、
私が伝えたいことは
「どう感じ取るか、どう受け取るか、どう繋がるのか、どう意識を拡大していくのか、どう全体とひとつになるのか」
ということです。
いまの私が繋がっているのは、そういうヨーガです。
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私は20年以上指導していまして、キャリアがそこそこ長いですから、
私の成長と共に、指導スタイルもどんどんアップグレードしていますし、
ヨーガの先生によって、そのかたが感じる善きものをシェアしているわけですので、
人それぞれの個性があり、その時それぞれのカラーでもありますから、
「ヨーガとはこういうもの」と定義づけるのが、私は好きではありません。
なので、私のヨーガが真実である、とか
他のスタイルは間違っている、とか
そういうチッポケな目線でのことではなく、
誰とも競争していないですし、何が正しいとか間違っているとか、そういうことはどうでもよくて、
ただただ、私がヨーガを通して伝えたい、と思うことをただただ、伝えていくだけです。
「これが本当のヨガなんですね」と生徒さんから言われることが、しばしばありますが、
私はそれに、YESもNOも答えません。
私は、私の提供しているのが「本当のヨガ」だとは思っていないですし(そもそも「本当の」とはどういう意味だろう)、
誰かの提供しているのが「偽物のヨガ」だとも思っていないですし(皆それぞれの魂のお仕事だから)、
私はただ、私の伝えたいことを、ヨーガを使って伝えているだけなので、
「本当」も「偽物」も、そういうジャッジの目線ではなく(みんな違ってみんないい)、
私自身が、ヨーガ哲学やアーサナを通して経験してきたことを、
ただただ、伝えているだけです。
そして、
それに共鳴するかたがたへ、持っている経験のすべてを惜しみなくシェアします。
それは
誰かから習った感性ではなく、私自身がアーサナを通した「経験」で培い養い育てていった感性であって、
だからそれを伝えるためには、
生徒さんに「経験」の中で感じて受け取っていただくしかないのです。
そして、きっと、
ヨーガがこれだけ長く世界的に愛されているのは、
その「経験」が、本当に素晴らしく根源の喜びに繋がるからなのだと、わたしは思います。
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私にとって、アーサナも、踊る瞑想も、結局は同じところに繋がっていて、
「身体を使った瞑想と祈り」に、型があるのか、またはフリーなのか、というだけで、
その両方にそれぞれの良さがあります。
きっと、人によっては、ヨーガアーサナのように型があるほうが安心するでしょうし、
また、人によっては、ダンス瞑想のように型がないほうが楽にできるのでしょう。
私はたまたま、型があるのも、型がないのも、どちらでも「自由」を感じることができますので、
私の人生にとっては、両方のスタイルが必要であり、
両方から受け取るギフトが違い、とても豊かであります。
私はヨーガが好きですし、アーサナという祈りが好きです。
型の中の動きで自分らしさを探求していって、自分の良さを活かしていき、
全体と一つになる、地球と一つになる、中心と繋がる、その感覚がとても好きです。
それを感じて受け取っていることも、
そして、それを好きだと思っていることも含めて、
それは、私にとって、やはり「祈り」なのです。
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「オンライン・シヴァナンダヨーガ」
7/29木曜 日本時間20時
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/479645501.html
※8月は夏休みをいただきます。次回の開催は9月の予定です。
「オンライン・プライベートヨーガ」
もやってますよ。
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