日本からドイツに戻って、実に10日ぶりに散歩をした。
というのも、ドイツはいま全面的にロックダウン中で、外出制限がされているので、私はできるだけ外に出ないようにしていたからだ。
とはいえ、制限の範囲内での仕事と、子供を遊ばせるためと、犬の散歩(!)だけは外出を許可されている。
犬(動物の命)を本当に尊重しているドイツらしくて、こういうところはドイツの好きなところだ(ドイツは野良犬・野良動物を人間の都合で絶対に殺さない。ちゃんと保護する施設を国が管理している。ブラボー!)。
そんなわけで私は、本当にできるだけ外出しないようにしていて、ドイツに戻ってからこの10日間、長く時差ボケが続いたのも理由にしながら、家の中にこもって本を読んだり、映画を見たり、踊ったり、瞑想したり、ヨガをしたり、コメディーみたいなことをしたり、そんなことばかりしてインドア生活を楽しんでいた。
クリスマスイブの日だけは例外で、夫の父親の家に出向いて、夫と義理姉と義理父に私の大好物の山梨の郷土料理ほうとうを作って振舞った。
日本から運んできた私のお気に入りの手作り味噌で!(美味しかったに決まってる!)
日本滞在中に訪れた徳之島で手に入れたパパイヤの漬物と、ハブ酒も出して、そんな珍しいものが話のタネになって盛り上がった。
祝福気分が一番盛り上がるキリスト教の国でのクリスマスだというのに、やはりロックダウン中なので21時前には自宅に帰らなければいけない・・・というルールがあって、
「えー、そんなの本当に守らなきゃいけないの?誰かが各家庭にチェックに来るわけないじゃない!大丈夫なんじゃない?」・・・なんて私は笑い飛ばしていたのだけれど、
「いやいや、各家庭にはチェックには来ないけれど、外でパトカーがあちこち巡回しているから、21時以降に車が走っていたり、道を歩いていたりすると止められて尋問されるんだよ」と、あっさりと言われて、
ああ、そうか、それはちょっと怖いな・・・とドイツの警察官の迫力のすごさを思い出した。
そして、ドイツ人は本当にルールを守る人たちらしく、20:30くらいから義理父が「そろそろ時間だぞ」と真剣な顔をして何度も繰り返すので、しぶしぶ帰り支度をした私たちが車に乗ったのは20:55だった。
21時以降に自宅の外にいる人は、それだけで罰金500ユーロ(約60,000円)だそうだ。
そして、それはただの脅しではないことは、ドイツに住んでいるからよくわかる。
ドイツはすごく「ルール」に厳しいのだ。
車で自宅まで帰る道のり、たくさんの車のヘッドライトが連なっていて、「普通だったらこの道は、この時間、車なんかいないはずなんだけどな」と笑った。
みんな同じく、ギリギリまでクリスマスパーティーを楽しんで、そしてダッシュで家に帰るのだろう。
きちんとルールを守るドイツ人たちに、とても暖かい気持ちになったのと同時に、厳格に統制されているドイツ国家に少し背中が冷たくなるような気分にもなった。
それはさておき、ドイツに戻ってきてからクリスマスまで、わたしは本当にスウィートで緩やかで満たされた時間を過ごしている。
時間がゆっくりと、私に寄り添うように流れていく感覚。
そのゆるゆるとサラサラと美しく流れる時間の小川に、私は優しく手を浸し、静かにすくいあげてはフワリと口に運んで、丁寧に一口ずつ味わっているような。
前に先行する時間を追いかけるのでもなく、後ろにいる時間を引きずるのでもなく、同じ速度で肩を並べて時に腕を組み、肩にもたれ、時間と共に仲良く歩いている・・・そんな気分。
とても心地が良い。
私がとても気持ちよく時間と友達になっているので、夫からの愛も十分に余裕をもって受け取ることができている。
人生とは、どうやって時間を味方につけて、仲良くなるかによって、質が変わってくるのだ。
と、しみじみと実感している。
「時計」ではなくて「時間」を尊重すること。
今日の午後、「ちょこっと散歩に行こうか」と夫が誘ってくれたので、少し驚いた。
「あれっ!?ロックダウン中に外に出てもいいの?犬も子供も一緒じゃないから注意されるんじゃないの?なんならご近所の犬を借りていく?」なんて私は冗談を言い、
すると夫は「まあ、大丈夫だよきっと、少し近所を歩くくらい」ととてもあっさりと言ってニッコリと笑った。
きっと気温0度くらいだったんじゃないかな。
昨日、フワフワした綿みたいな美しい雪が舞った(ホワイトクリスマスだった)ので、今日はまだ塀の上にも庭の植木の上にも車の屋根や窓にもあちこちにまだ雪が残っていたので、世界はとてもメルヘンだった。(ちなみにメルヘンって言葉はドイツ語)
部屋の中で想像していたよりもずっと、空気がキリっと冷たくて、私たちの鼻と頬はみるみる赤くなっていった。
私たちのいつものお散歩コースは、ミニ牧場のようなところを通り過ぎるルートで、うさぎや、七面鳥や、珍しいヤギや、毛の長いロバみたいなのや、もこもこの羊や、ポニーが、とても丁寧に愛されて飼育されている公園のような場所だ。
動物好きで子供好きの私は(動物がたくさんいる場所にはもれなく子供たちも集まってくる)、本当に気持ちが安らぐ癒しの場所なのだ。
意外なことに、結構、歩いている人たちがいて、そのほとんどは子供連れか犬連れだったが(合法!)、大人だけで歩いている人たちもいて、なぁ〜んだ、よかった、これだけ大人が歩いているのならば、警察官が来て片っ端から注意する(罰金取られる)ことはないわね、と少し安心した。
そういえば、3〜4月の一回目のロックダウンの時は、この公園で立ち止まることも禁止されていたっけ。
立ち止まって動物を見ていたら、係の人が飛んできて「通り過ぎるだけでしたら許可します。立ち止まらないでください」と言われて驚いた。
どこかに行く通り道に公園を歩くのならばいいけれど、意味もなく公園をぶらぶらしてはダメだ、ということだそう。
天性の反逆者の私は、やっぱり納得できないルールにはただ従うことに違和感があって、その時は、ものすごいスーパースローで歩いて、顔の表情までスーパースローにして、これでどうだ!と抵抗したっけ。
そんな私のコミカルな行動がおかしくて、夫は大爆笑していた。
そんな一回目のロックダウンの4月頃、公園のベンチに座っていたら、罰金150ユーロ(約18,000円)取られた、という話も聞いたことがある。
でも、この12月のロックダウンでは、ちょうど係の人がクリスマス休暇だったのか、今日はそんな窮屈なことを言われることもなく、平和に動物たちと交流することができた。
動物たちが持つ「自然」に癒され、私の中の「自然」が刺激され、私は「本当に大切なもの」を大切にしよう、と改めて感じた。
うっすらと雪化粧した木々たちに、曇り空から時々覗く太陽の光が、キラキラと奥ゆかしく輝く、今日の午後だった。
唐突に私は、夫に話し始めた。
私が、この冬の日本滞在の最終日に感じたこと、受け取ったメッセージを。
きっと私は、久々に外の空気を吸って、自然のパワーをいただき、動物の純粋性に刺激されたからだろう。
日本最終日。
私は、山梨のとある温泉ホテルに泊まっていた。
日本にはきちんとした私の居場所がないので、日本に滞在中はすべてホテルや民泊住まいなのだけれど、お風呂好きのわたしはチャンスがあれば毎日のように温泉に行く。
日本にいるときだけ楽しめる、わたしの極上の趣味。
最後の数日間は、とても頑張った自分へのご褒美として、いろんな種類のお風呂が楽しめるホテルに泊まったのだ。
わたしは、ある古い懐かしい映画をスマホで見たあと(海外規制があってドイツからだとストリーミングできない映画なので日本でどうしても見たかった)、ぼんやりとその映画の余韻に浸りながら温泉に浸かっていた。
やはり、日本も警戒中だったから、温泉はとっても空いていて、広い浴場には私以外に一人か二人しかいなかったので、浴槽の中の段になっているところを利用して、浴槽のへりを枕代わりにし、私はお湯の中に手足を伸ばしてのびのびと横たわっていた。
そして、浴場といえども「密」を防ぐために、少し開けてある窓から冷たい風を心地よく感じながら、温かいお湯の中で、半ばゆらゆらと揺れて踊るようにしながら、さっき見た映画が私に残していった残像や反響を、心の中で感じていた。
そして、その映画から私なりに受け取ったメッセージを、緩やかなお湯の中で目を閉じて反芻していた。
「過去に生きている現在。
過去を修復することを現在に生きる術としている。
過去の痛みを癒し続ける許し続ける。
過去の約束を希望にして現在を生きる。
過去から抜け出すことはとても勇気がいる。
でも愛があればその勇気は必ず目覚める。
未来は目の前に来た電車に直感でただ飛び乗ったその行き先みたいなもの。」
私の中で、映画の余韻にとても響くものがあり、ジーンとしながらゆらゆらと漂っていた時、
劇的にドカン!と気づいたことがあった。
わたしについて。
わたしの人生について。
私はこの4年間、自分の人間としての人生の過去を癒し続けていた。
それまで、「もうそれは終わったことで、私にとってはもう済んだこと」と思っていた遠い遠い過去の痛み。
それらが、この4年間の学びの中で、どれだけ、まだまだ私に注意を向けてもらいたがっていたか・・・を痛いほど知った。
私は自分を癒し続けたし、自分を許し続けた。
そして、その過去の出来事に関わる人々を許し続けることで、私自身を解放し続けた。
許すこと、気づくこと、見ようとしなかったものを見てあげること、認めること、そして、許すこと・・・・・
そのプロセスにフォーカスして、私はとてもたくさんの人生の癒しを経験し、そこから魂の癒しを経験した。
Acknowledgment is already healing. 見つめること、認めることで、それだけですでに癒しになるのだ。
私は、20代のころに息子を亡くした経験がある。
もう、かなり昔のことだ。
その当時、もう散々、自分を責めて責めて責めて、自分も死のうかと思ったほど苦しんだ。
(これについては、またいつか、準備ができたらシェアしよう。私がこの経験から学び、解放されたプロセスが、必要な人がいるかもしれないからね。でも今じゃない)
とにかく、それ以外にも、インナーチャイルドの痛みや、両親のある意味での喪失、大人になってからの親友との別れなど・・・もう忘れよう、もう見ないようにしよう・・・としていたたくさんの痛み・トラウマ・・・マインドは忘れようとしても身体の細胞が記憶している経験・・・そんな「封印」がたくさんあった(そしてまだあるだろうし、人間をしている限り作り続けるだろう)。
随分、長いこと自分と向き合い続け、自分自身にシャーマニックワークをし続けているが、人間というのは奥深く、自分という人間が一番私にとって研究のし甲斐がある。
この探求は一生かけて行っていくんだな。
「シャドー」は、個性的な魅力の種だから、シャドーから自分を学んでいくことは、魅力を磨いていくということだ。
自分自身がこれまで「封印」していた古い痛みを、ひとつひとつ紐解いて、丁寧に丁寧に、ゆっくりと泥を落として洗い流していった・・・そんな4年間だった。
私は、「過去」を感じながら「今」を生きていたような、そんな気がする。
この期間、いつでも「過去の自分」と「今の自分」を比べて、それを基準にして、今の自分がどういう状態なのか・・・を認識していたような気がする。
それは、見たくないもの、見ると痛いものを、恐る恐る開いていくような作業だったし、時には、突然、前置きもなく箱が開いてしまって対処しきれなかったこともあったり、それはそれは、貴重であり重要な経験だった。
それらと取り組んでいくためには、本当にものすごい莫大なエネルギーが必要だったし、そして、支えてくれた人たちのおかげで、心おきなく自分の痛みとシャドーと向き合えて、そのシャドーから新たな光を生み出し始めているのだと感じている。
そんな気づきが、劇的にパカーンと開いて、私は広いお風呂の中でびっくりした。
実際に「あっ!!」と思わず叫んで、横たわっていた身体をガバッと起こしてしまったほど。(周りに誰もいなかった。バブル湯のボコボコの音に声もきっと掻き消されただろう)
それほど、驚いた。
ああ、私のここ4年間は、過去を癒す期間だったんだ。
それをするべくして、最高にあるがまま受け入れてくれるパートナーと出会い、ドイツに住み始め、ムーブメントメディスンを学び、ティーチャーになり、ヨーロッパで活動し、すべてのあらゆる興味深い出来事が起こったのだ。
あれも、あれも、これも、あれも、全部、そのためだったのだ。
なんだか、すべてが腑に落ちた。
GPSで、自分の今いるポジションを地図の上で改めて見つけたような発見だ。
そして、たった今起こった、その気づきからもまた私は癒されて、お風呂の中で涙が汗と共にどんどん流れていった。
目からヒーリングウォーターがするすると落ちていく。
よく頑張ったな、わたし。
よく、ここまできちんと自分と向き合ったな。
自分を、心から褒めた。
そして、このプロセスに関わるすべてのご縁に、巨大な感謝が溢れて、
さらに、声を出して泣いた。(近くに誰もいなかったし、バブル湯のボコボコで聞こえないことに安心して)
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
自分の人生に感謝しかなかった。
そして、私の人生に関わってくれたすべての人々へ、すべての出来事へ、すべての痛みへ、感謝しかなかった。
そして、強くて脆い、自分の繊細さへも、感謝しかなかった。
大きな浴槽に横たわって、湯気に煙る天井を見上げ、何度も安堵のため息をつきながら、私の目からは涙がとうとうと流れ続けた。
体温よりも少し温かなお湯は、私の全身をくまなく包み込み、そして、揺らぎと共に私を優しく抱きしめていた。
文字にかけそうなほどの「はぁ〜」の感慨深い長く振動するため息の後、鼻腔から息を吸うと、お湯と湯気の熱気が眉間のあたりまで温めた。
目を閉じると、瞼にヒーリングウォーターが圧されて、いくつもの涙の玉が頬に落ちていくのを感じ、そしてまた目を開けて、ハートから湧き出るものを感じた。
この4年間で、私は自分の大きな変化を認める。
それは、本当に祝福すべきビッグなギフトだ。
一つ一つの封印を恐る恐る開いて、紐解いたものを丁寧にひとつひとつゆっくりと洗い流して・・・・・これまでのその長く貴重な癒しの期間を経て、
それをこれからの未来のために、丁寧に、新たな模様で縫い直していく・・・・そんな、この先のビジョンを見た。
同じ素材を使うのだけれど、でもそれは、これまでとはまったく違う織り方で紡がれていき、まったく新しい模様となって、この先の私の彩りとなっていくのだ。
そして、私がいま手掛けるべきなのは、「紡ぎ・紬・織り」の作業。
それには、どこから糸を紡ぐのか、どう織りなして、どんな紬を作っていくのか、丁寧に「いま・ここ」を感じながら選択していこう。
いまこの一瞬一瞬のすべてが、この先の未来を創造していく。
未知なることは、いつでも恐れとワクワクの背中合わせ。
見えないもの、知らないもの、想像もつかないものに、人間というのは恐怖を感じる。
それは、自然であり、自然であるからこそ責めるべきことではないし、変えようとすることでもないと、私は思う。
そして、そこに「無邪気さ」をブレンドすると「好奇心」が花咲き、いわゆる「ワクワク」に変容する。
恐れも好奇心も、両方を同じくらい愛しながら、これから先の未来に延びる、この目の前の橋を渡っていこう。
わたしは浴槽の中に横たえていた体を起こし、お湯から上がり浴槽のへりに腰かけて少し体を冷ました。
少しだけ開いた窓から忍び込む、外気の冷たい空気が心地よい。
両手を頭の上にあげ、うんと長い伸びをして、伸びたまま2回ほど左右に上半身を揺らしてストレッチをした。
裸で体操をするのは、とても開放的で気持ちがよい。(私は真っ裸でするヨガが一番好きだ)
はあぁ〜、と大きなため息とともに腕をバタンと下ろすと、肩がストンと軽くなったように感じた。
そして、猛烈にドイツにいる夫と、ドイツでの暮らしが恋しくなった。
わたしは、浴槽のへりから立ち上がり、眩暈がしたので数秒間立ち止まって落ち着くのを待ってから、また顔を上げて露天風呂のドアのほうに向かった。
翌日、私はドイツに飛ぶ。
でも、その前に、故郷山梨の地核から噴き出てくるこの水のスピリットとともに、私がこの地に生まれたこと、そして、私がわたしとしてこの人生を生きていることを祝福しよう。
これからも、たくさんの気づきと成長を重ねて成長していくであろう、人間の私に。
この先、どんなときも、愛とともに、命を使っていけれますように。
露天風呂では、星が美しく瞬いていた。