2020年12月26日

(エッセイ)日本での気づきからドイツへ



日本からドイツに戻って、実に10日ぶりに散歩をした。

というのも、ドイツはいま全面的にロックダウン中で、外出制限がされているので、私はできるだけ外に出ないようにしていたからだ。

とはいえ、制限の範囲内での仕事と、子供を遊ばせるためと、犬の散歩(!)だけは外出を許可されている。

犬(動物の命)を本当に尊重しているドイツらしくて、こういうところはドイツの好きなところだ(ドイツは野良犬・野良動物を人間の都合で絶対に殺さない。ちゃんと保護する施設を国が管理している。ブラボー!)。

そんなわけで私は、本当にできるだけ外出しないようにしていて、ドイツに戻ってからこの10日間、長く時差ボケが続いたのも理由にしながら、家の中にこもって本を読んだり、映画を見たり、踊ったり、瞑想したり、ヨガをしたり、コメディーみたいなことをしたり、そんなことばかりしてインドア生活を楽しんでいた。

クリスマスイブの日だけは例外で、夫の父親の家に出向いて、夫と義理姉と義理父に私の大好物の山梨の郷土料理ほうとうを作って振舞った。

日本から運んできた私のお気に入りの手作り味噌で!(美味しかったに決まってる!)

日本滞在中に訪れた徳之島で手に入れたパパイヤの漬物と、ハブ酒も出して、そんな珍しいものが話のタネになって盛り上がった。

祝福気分が一番盛り上がるキリスト教の国でのクリスマスだというのに、やはりロックダウン中なので21時前には自宅に帰らなければいけない・・・というルールがあって、

「えー、そんなの本当に守らなきゃいけないの?誰かが各家庭にチェックに来るわけないじゃない!大丈夫なんじゃない?」・・・なんて私は笑い飛ばしていたのだけれど、

「いやいや、各家庭にはチェックには来ないけれど、外でパトカーがあちこち巡回しているから、21時以降に車が走っていたり、道を歩いていたりすると止められて尋問されるんだよ」と、あっさりと言われて、

ああ、そうか、それはちょっと怖いな・・・とドイツの警察官の迫力のすごさを思い出した。

そして、ドイツ人は本当にルールを守る人たちらしく、20:30くらいから義理父が「そろそろ時間だぞ」と真剣な顔をして何度も繰り返すので、しぶしぶ帰り支度をした私たちが車に乗ったのは20:55だった。

21時以降に自宅の外にいる人は、それだけで罰金500ユーロ(約60,000円)だそうだ。 

そして、それはただの脅しではないことは、ドイツに住んでいるからよくわかる。

ドイツはすごく「ルール」に厳しいのだ。

車で自宅まで帰る道のり、たくさんの車のヘッドライトが連なっていて、「普通だったらこの道は、この時間、車なんかいないはずなんだけどな」と笑った。

みんな同じく、ギリギリまでクリスマスパーティーを楽しんで、そしてダッシュで家に帰るのだろう。

きちんとルールを守るドイツ人たちに、とても暖かい気持ちになったのと同時に、厳格に統制されているドイツ国家に少し背中が冷たくなるような気分にもなった。




それはさておき、ドイツに戻ってきてからクリスマスまで、わたしは本当にスウィートで緩やかで満たされた時間を過ごしている。

時間がゆっくりと、私に寄り添うように流れていく感覚。

そのゆるゆるとサラサラと美しく流れる時間の小川に、私は優しく手を浸し、静かにすくいあげてはフワリと口に運んで、丁寧に一口ずつ味わっているような。

前に先行する時間を追いかけるのでもなく、後ろにいる時間を引きずるのでもなく、同じ速度で肩を並べて時に腕を組み、肩にもたれ、時間と共に仲良く歩いている・・・そんな気分。

とても心地が良い。

私がとても気持ちよく時間と友達になっているので、夫からの愛も十分に余裕をもって受け取ることができている。

人生とは、どうやって時間を味方につけて、仲良くなるかによって、質が変わってくるのだ。

と、しみじみと実感している。

「時計」ではなくて「時間」を尊重すること。




今日の午後、「ちょこっと散歩に行こうか」と夫が誘ってくれたので、少し驚いた。

「あれっ!?ロックダウン中に外に出てもいいの?犬も子供も一緒じゃないから注意されるんじゃないの?なんならご近所の犬を借りていく?」なんて私は冗談を言い、

すると夫は「まあ、大丈夫だよきっと、少し近所を歩くくらい」ととてもあっさりと言ってニッコリと笑った。




きっと気温0度くらいだったんじゃないかな。

昨日、フワフワした綿みたいな美しい雪が舞った(ホワイトクリスマスだった)ので、今日はまだ塀の上にも庭の植木の上にも車の屋根や窓にもあちこちにまだ雪が残っていたので、世界はとてもメルヘンだった。(ちなみにメルヘンって言葉はドイツ語)

部屋の中で想像していたよりもずっと、空気がキリっと冷たくて、私たちの鼻と頬はみるみる赤くなっていった。

私たちのいつものお散歩コースは、ミニ牧場のようなところを通り過ぎるルートで、うさぎや、七面鳥や、珍しいヤギや、毛の長いロバみたいなのや、もこもこの羊や、ポニーが、とても丁寧に愛されて飼育されている公園のような場所だ。

動物好きで子供好きの私は(動物がたくさんいる場所にはもれなく子供たちも集まってくる)、本当に気持ちが安らぐ癒しの場所なのだ。

意外なことに、結構、歩いている人たちがいて、そのほとんどは子供連れか犬連れだったが(合法!)、大人だけで歩いている人たちもいて、なぁ〜んだ、よかった、これだけ大人が歩いているのならば、警察官が来て片っ端から注意する(罰金取られる)ことはないわね、と少し安心した。

そういえば、3〜4月の一回目のロックダウンの時は、この公園で立ち止まることも禁止されていたっけ。

立ち止まって動物を見ていたら、係の人が飛んできて「通り過ぎるだけでしたら許可します。立ち止まらないでください」と言われて驚いた。

どこかに行く通り道に公園を歩くのならばいいけれど、意味もなく公園をぶらぶらしてはダメだ、ということだそう。

天性の反逆者の私は、やっぱり納得できないルールにはただ従うことに違和感があって、その時は、ものすごいスーパースローで歩いて、顔の表情までスーパースローにして、これでどうだ!と抵抗したっけ。

そんな私のコミカルな行動がおかしくて、夫は大爆笑していた。

そんな一回目のロックダウンの4月頃、公園のベンチに座っていたら、罰金150ユーロ(約18,000円)取られた、という話も聞いたことがある。

でも、この12月のロックダウンでは、ちょうど係の人がクリスマス休暇だったのか、今日はそんな窮屈なことを言われることもなく、平和に動物たちと交流することができた。

動物たちが持つ「自然」に癒され、私の中の「自然」が刺激され、私は「本当に大切なもの」を大切にしよう、と改めて感じた。

うっすらと雪化粧した木々たちに、曇り空から時々覗く太陽の光が、キラキラと奥ゆかしく輝く、今日の午後だった。



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唐突に私は、夫に話し始めた。

私が、この冬の日本滞在の最終日に感じたこと、受け取ったメッセージを。

きっと私は、久々に外の空気を吸って、自然のパワーをいただき、動物の純粋性に刺激されたからだろう。

日本最終日。

私は、山梨のとある温泉ホテルに泊まっていた。

日本にはきちんとした私の居場所がないので、日本に滞在中はすべてホテルや民泊住まいなのだけれど、お風呂好きのわたしはチャンスがあれば毎日のように温泉に行く。

日本にいるときだけ楽しめる、わたしの極上の趣味。

最後の数日間は、とても頑張った自分へのご褒美として、いろんな種類のお風呂が楽しめるホテルに泊まったのだ。

わたしは、ある古い懐かしい映画をスマホで見たあと(海外規制があってドイツからだとストリーミングできない映画なので日本でどうしても見たかった)、ぼんやりとその映画の余韻に浸りながら温泉に浸かっていた。

やはり、日本も警戒中だったから、温泉はとっても空いていて、広い浴場には私以外に一人か二人しかいなかったので、浴槽の中の段になっているところを利用して、浴槽のへりを枕代わりにし、私はお湯の中に手足を伸ばしてのびのびと横たわっていた。

そして、浴場といえども「密」を防ぐために、少し開けてある窓から冷たい風を心地よく感じながら、温かいお湯の中で、半ばゆらゆらと揺れて踊るようにしながら、さっき見た映画が私に残していった残像や反響を、心の中で感じていた。

そして、その映画から私なりに受け取ったメッセージを、緩やかなお湯の中で目を閉じて反芻していた。



「過去に生きている現在。
過去を修復することを現在に生きる術としている。
過去の痛みを癒し続ける許し続ける。
過去の約束を希望にして現在を生きる。
過去から抜け出すことはとても勇気がいる。
でも愛があればその勇気は必ず目覚める。
未来は目の前に来た電車に直感でただ飛び乗ったその行き先みたいなもの。」



私の中で、映画の余韻にとても響くものがあり、ジーンとしながらゆらゆらと漂っていた時、

劇的にドカン!と気づいたことがあった。

わたしについて。

わたしの人生について。

私はこの4年間、自分の人間としての人生の過去を癒し続けていた。

それまで、「もうそれは終わったことで、私にとってはもう済んだこと」と思っていた遠い遠い過去の痛み。

それらが、この4年間の学びの中で、どれだけ、まだまだ私に注意を向けてもらいたがっていたか・・・を痛いほど知った。

私は自分を癒し続けたし、自分を許し続けた。

そして、その過去の出来事に関わる人々を許し続けることで、私自身を解放し続けた。

許すこと、気づくこと、見ようとしなかったものを見てあげること、認めること、そして、許すこと・・・・・

そのプロセスにフォーカスして、私はとてもたくさんの人生の癒しを経験し、そこから魂の癒しを経験した。

Acknowledgment is already healing. 見つめること、認めることで、それだけですでに癒しになるのだ。




私は、20代のころに息子を亡くした経験がある。

もう、かなり昔のことだ。

その当時、もう散々、自分を責めて責めて責めて、自分も死のうかと思ったほど苦しんだ。

(これについては、またいつか、準備ができたらシェアしよう。私がこの経験から学び、解放されたプロセスが、必要な人がいるかもしれないからね。でも今じゃない)

とにかく、それ以外にも、インナーチャイルドの痛みや、両親のある意味での喪失、大人になってからの親友との別れなど・・・もう忘れよう、もう見ないようにしよう・・・としていたたくさんの痛み・トラウマ・・・マインドは忘れようとしても身体の細胞が記憶している経験・・・そんな「封印」がたくさんあった(そしてまだあるだろうし、人間をしている限り作り続けるだろう)。

随分、長いこと自分と向き合い続け、自分自身にシャーマニックワークをし続けているが、人間というのは奥深く、自分という人間が一番私にとって研究のし甲斐がある。

この探求は一生かけて行っていくんだな。

「シャドー」は、個性的な魅力の種だから、シャドーから自分を学んでいくことは、魅力を磨いていくということだ。

自分自身がこれまで「封印」していた古い痛みを、ひとつひとつ紐解いて、丁寧に丁寧に、ゆっくりと泥を落として洗い流していった・・・そんな4年間だった。

私は、「過去」を感じながら「今」を生きていたような、そんな気がする。

この期間、いつでも「過去の自分」と「今の自分」を比べて、それを基準にして、今の自分がどういう状態なのか・・・を認識していたような気がする。

それは、見たくないもの、見ると痛いものを、恐る恐る開いていくような作業だったし、時には、突然、前置きもなく箱が開いてしまって対処しきれなかったこともあったり、それはそれは、貴重であり重要な経験だった。

それらと取り組んでいくためには、本当にものすごい莫大なエネルギーが必要だったし、そして、支えてくれた人たちのおかげで、心おきなく自分の痛みとシャドーと向き合えて、そのシャドーから新たな光を生み出し始めているのだと感じている。




そんな気づきが、劇的にパカーンと開いて、私は広いお風呂の中でびっくりした。

実際に「あっ!!」と思わず叫んで、横たわっていた身体をガバッと起こしてしまったほど。(周りに誰もいなかった。バブル湯のボコボコの音に声もきっと掻き消されただろう)

それほど、驚いた。

ああ、私のここ4年間は、過去を癒す期間だったんだ。

それをするべくして、最高にあるがまま受け入れてくれるパートナーと出会い、ドイツに住み始め、ムーブメントメディスンを学び、ティーチャーになり、ヨーロッパで活動し、すべてのあらゆる興味深い出来事が起こったのだ。

あれも、あれも、これも、あれも、全部、そのためだったのだ。

なんだか、すべてが腑に落ちた。

GPSで、自分の今いるポジションを地図の上で改めて見つけたような発見だ。

そして、たった今起こった、その気づきからもまた私は癒されて、お風呂の中で涙が汗と共にどんどん流れていった。

目からヒーリングウォーターがするすると落ちていく。

よく頑張ったな、わたし。

よく、ここまできちんと自分と向き合ったな。

自分を、心から褒めた。

そして、このプロセスに関わるすべてのご縁に、巨大な感謝が溢れて、

さらに、声を出して泣いた。(近くに誰もいなかったし、バブル湯のボコボコで聞こえないことに安心して)

ありがとう、ありがとう、ありがとう。

自分の人生に感謝しかなかった。

そして、私の人生に関わってくれたすべての人々へ、すべての出来事へ、すべての痛みへ、感謝しかなかった。

そして、強くて脆い、自分の繊細さへも、感謝しかなかった。

大きな浴槽に横たわって、湯気に煙る天井を見上げ、何度も安堵のため息をつきながら、私の目からは涙がとうとうと流れ続けた。

体温よりも少し温かなお湯は、私の全身をくまなく包み込み、そして、揺らぎと共に私を優しく抱きしめていた。

文字にかけそうなほどの「はぁ〜」の感慨深い長く振動するため息の後、鼻腔から息を吸うと、お湯と湯気の熱気が眉間のあたりまで温めた。

目を閉じると、瞼にヒーリングウォーターが圧されて、いくつもの涙の玉が頬に落ちていくのを感じ、そしてまた目を開けて、ハートから湧き出るものを感じた。




この4年間で、私は自分の大きな変化を認める。

それは、本当に祝福すべきビッグなギフトだ。

一つ一つの封印を恐る恐る開いて、紐解いたものを丁寧にひとつひとつゆっくりと洗い流して・・・・・これまでのその長く貴重な癒しの期間を経て、

それをこれからの未来のために、丁寧に、新たな模様で縫い直していく・・・・そんな、この先のビジョンを見た。

同じ素材を使うのだけれど、でもそれは、これまでとはまったく違う織り方で紡がれていき、まったく新しい模様となって、この先の私の彩りとなっていくのだ。

そして、私がいま手掛けるべきなのは、「紡ぎ・紬・織り」の作業。

それには、どこから糸を紡ぐのか、どう織りなして、どんな紬を作っていくのか、丁寧に「いま・ここ」を感じながら選択していこう。

いまこの一瞬一瞬のすべてが、この先の未来を創造していく。

未知なることは、いつでも恐れとワクワクの背中合わせ。

見えないもの、知らないもの、想像もつかないものに、人間というのは恐怖を感じる。

それは、自然であり、自然であるからこそ責めるべきことではないし、変えようとすることでもないと、私は思う。

そして、そこに「無邪気さ」をブレンドすると「好奇心」が花咲き、いわゆる「ワクワク」に変容する。

恐れも好奇心も、両方を同じくらい愛しながら、これから先の未来に延びる、この目の前の橋を渡っていこう。




わたしは浴槽の中に横たえていた体を起こし、お湯から上がり浴槽のへりに腰かけて少し体を冷ました。

少しだけ開いた窓から忍び込む、外気の冷たい空気が心地よい。

両手を頭の上にあげ、うんと長い伸びをして、伸びたまま2回ほど左右に上半身を揺らしてストレッチをした。

裸で体操をするのは、とても開放的で気持ちがよい。(私は真っ裸でするヨガが一番好きだ)

はあぁ〜、と大きなため息とともに腕をバタンと下ろすと、肩がストンと軽くなったように感じた。

そして、猛烈にドイツにいる夫と、ドイツでの暮らしが恋しくなった。

わたしは、浴槽のへりから立ち上がり、眩暈がしたので数秒間立ち止まって落ち着くのを待ってから、また顔を上げて露天風呂のドアのほうに向かった。

翌日、私はドイツに飛ぶ。

でも、その前に、故郷山梨の地核から噴き出てくるこの水のスピリットとともに、私がこの地に生まれたこと、そして、私がわたしとしてこの人生を生きていることを祝福しよう。

これからも、たくさんの気づきと成長を重ねて成長していくであろう、人間の私に。

この先、どんなときも、愛とともに、命を使っていけれますように。

露天風呂では、星が美しく瞬いていた。

























posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:46| 今日の感謝☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月24日

メリークリスマス2020



ブログで繋がるすべてのあなたへ💝

クリスマスの祝福がたくさんの光と喜びをあなたに与えますように!🙏

愛を込めて。

画像はミュンヘンの我が家のクリスマスファミリーと小さなクリスマスツリーです😊



2020メリークリスマス.jpg



今日は朝から自宅で自分でコロナ検査をしました。

これから、ドイツの義理の父(弱っているので)とクリスマスのお祝いで会うので、用心して。

フィンランド経由で日本から戻ってきたときに、ミュンヘンの空港で検査はしましたが(もちろん陰性)、

大切な人を守るため、念のため、用心して。

もちろん陰性でしたので、心おきなくクリスマスの祝福をしてきます。

皆様にも、祝福を送ります!

ユキ




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:58| 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月17日

12/20オンライン・マントラ瞑想会


「ONLINE マントラ瞑想会」
2020/12/20(日) 
日本時間17:45、CET時間9:45



マントラ瞑想会s.jpg



闇が深まる冬至を迎える準備。マントラの響きとリズムで、心と体を整えましょう。

声を使った瞑想は、身体の内側からのバイブレーションで、気持ちを安定させてくれます。

そして、自分自身のコア・中心・真なるセンターに、その波動を響かせ、ぶれない軸を作りましょう。

このオンライン瞑想会は、他たくさんの(恐らく100〜200人)の人々と意識で繋がってマントラを歌います。(オンライン画面では私たちだけです)

今回の瞑想会の経緯をお話ししますと、

毎年2回、5月と12月にドイツ国内で行われる、3日間マントラを歌い続けて祈る集いがあり、私もしばしば参加していたのですが、

今年はオンラインで行うことになりましたので、日本人のかたもぜひご招待したいです。

急なお知らせですが、よろしければ、ご参加になって、たくさんのかたたちの祈りと繋がって、私たちの未来のために祈りませんか?

使用するマントラは

Om jai jagdish hare

です。

インドではお祈りの儀式の一番最後の締めに、炎を捧げながら(アラティ)、大いなる存在への敬意とともに歌います。

私の大好きなマントラで、平和と調和の波動を感じます。



瞑想ナビゲイター:
ユキ ラクシュミナラヤニ
スピリチュアルヒーラー
インターナショナルヨーガティーチャー

ウェブサイト:beyond3.jimdofree.com/


スペシャルゲスト:
瞑想マスター・医師の臨床心理士
Gerhard ハルモニウム伴奏とボーカル


日時:
2020/12/20(日) 
日本時間17:45〜19:15、CET時間9:45〜11:15


参加:zoomにて
メールいただきましたかたに、リンクを送らせていただきます。


参加費:ドネーション


お申し込み:ykyogaism@gmail.com


締め切り:12/19土曜 日本時間24:00、CET時間18:00


posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:55| イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またね


またね、日本。

ゆるゆるなあなあ規制の日本から、ガッチガチ超厳しいロックダウン中のドイツへ飛びます。(入国できますように)

ミュンヘン空港で5度目のPCR検査を受けますよ。

もう慣れたもんです。

次に日本に戻って来れるのはいつになるのだろう。



昨夜、最後の温泉に入りながら、人生について劇的に発見した気づきがあり、露天風呂の中で泣いた。

寒く濃い夜空に、星が美しく輝いていた。

今、空港に向かうバスの中、その感動をまだじっくりと味わっている。

私は、前に進もう。感謝だけを連れて。

懐かしくて馴染み深い、未知なる新しい未来へ。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:50| 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月14日

(エッセイ)帽子の顎ひも



「あ!いたっ・・・!」

細い針が、左手の人差し指に刺さって、私は思わずビクッと手を引いて、胸に寄せた。

見ると、かすかに赤い点が見える。

その人差し指を口の中に入れて、チューと少しの間吸って、ペロリと舐めたらパタパタと手を振って、風で指先を乾かす。

この真っ白な日よけ帽子に、わたしの血液の鮮やかな赤がついてしまわないように、十分に用心して人差し指をできるだけ帽子から遠いところに広げ、代わりに中指を使いながら針を刺す。



「ごめんね、ユキ。なんだか面倒なことをやってもらっちゃって」

畳の上で正座をして背中を丸くしながら縫物をする私の隣で、座椅子にもたれたまま半分こちらに身を乗り出した母が、眉を寄せ困ったような顔をして何度も同じ言葉を繰り返す。

「甘え下手」なのは、母譲りだな・・・・、と私は確信する。

母は、私が母のためになにかするといつでも「ごめん、ごめん、ごめん」と謝ってばかりだ。

私は、その母の口癖に聞こえないふりをして、背中を丸くし、ものすごい集中力でじっと手元を見つめている。

いつのまにやら、この私もだいぶお年頃になってきたようで、最近は手元の細かい作業のとき、視界がぼやけてしまう。

私自身は永遠に思春期の中にいて、そんなに大人になったようにも感じないのだが、肉体は確実に時間と共に腕を組んでどんどん進んでいるのだろう。わたしの「幼さ」を置いてきぼりにして。

手元との距離を調整しながら、お疲れ眼のピントをなんとか合わせつつ、チクチクと針と糸を繰り寄せていく。




その日の午後、カラリと晴れて、薄い青がろうろうと広がる空。

ハトの群れが冬の畑をついばんでいて、私たちが近づくと合図もなしに一斉に飛び立ち、そして、どうやって意思疎通するのか一斉に向きを変えてそしてまた一斉に向きを変えて・・・見えない誰かに指揮されているかのような奇跡のようなダンスを描いていた。

私たちは、母の家の周りの路地や畑の脇の道を、ふたりで「歩く練習」をしていた。

母がかぶっていた大きなフードの黒い帽子が気になった。

母は、どうしても日焼けをすることが許せない性分らしく、いつも外に出るときは絶対に帽子をかかさない。

その黒くて広いまあるいフードは、母の顔をすっぽりと覆い隠して、恐らく、かなり日焼けをガードしている役立ち者だとは思うのだけれど、その代わりに、前方がまったく見えず、足元しか見えない構造をしている。

二人で歩く練習をするあぜ道は、ライスフィールドが広がり、用水路の水の音が心地よく聞こえる線路沿いで、山々が美しく見える日本的な田舎の風景で、わたしはここで風や土を感じながら歩くのが好きだ。

一時間に一本か二本、2両編成のローカル電車が、ゴトゴトと実にのんきなスピードで通り過ぎていくのも、のどかで気持ちがゆっくりになる。

とても細い畑道ではあるのだけれど、とはいえ、近所の車や自転車やバイクが通ることもしばしばあって、どう考えても前方が見えていないであろう、大きな黒い魔女みたいな帽子をかぶって、ヨチヨチ、手押し車を押している母をみると、ヒヤヒヤしっぱなしだった。

ただでさえ、病気で視界が狭くなっているうえ、歩くことに全神経を集中して頑張っている母は、さらには耳も遠いので、車や自転車が来ていることに気づいていないのは間違いないだろう。

私が日本にいるときは、一緒に歩いてあげられるから良いのだけれど、私が日本にいない一年の大半の期間は、母はひとりで歩く練習をしているらしい。

ひとりで、この帽子をかぶって周囲が全く見えないまま歩いているなんて・・・私は心配でゾッとする。

私は母に、この黒い帽子は庭の枯葉拾いのときだけにして、歩くときは使わないほうがいい、と提案した。

すると、母には母の言い分があって、いくつかある帽子の中で、この黒い魔女のような帽子だけが、顎ひもがあるから、帽子が飛んでしまうことを心配しないで済むので、歩く練習に集中しやすいそう。

なるほど、それなら・・・・と、私は母が持っているすべての帽子に、顎ひもを縫い付けた。

なんだか私は、「母を守るんだ」という力強い使命感を感じている自分に気づいた。

いくつもの帽子にチクチク針を刺しながら、子供のお世話をするってこういう気持ちなのかな、と感じてみたりした。私は今世では、自分の子供とのご縁がなかったけれど。

こうやって、若かりし日の母も、私が幼少期のころには、赤白帽子や黄色帽子やぞうきんや布バッグなどを、せっせと縫ってくれたんだろうな・・・なんて、想像したりした。

その時の母の気持ちを想像して、なんだか、じんわりと感謝が溢れてきて、温かい気持ちになった。

過去の母からの愛をいまさらながら受け取り、そして、今の私の母への愛を認めながら針と糸とをみつめていた。





数日前、

ランチに母の好きなあんまんを蒸した。

母は、熱いから・・・と、あんまんをお箸でつかんで、私を微笑ませた。

「美味しい!」と目を真ん丸にして、一口食べ、そして、また次の一口も、まるで初めて食べたかのように、最初と同じように目を大きく見開いて「美味しい!」と、一口目と同じ感動を現わした。

私が一緒でだからこそ、食べる食べ物がたくさんあって、ひとりだと経験できない感動があるのだろうな・・・、と私がいないときの母の生活のモノクロさを感じる。

平日のお昼過ぎ、テレビでは毎日殺人事件のドラマか、健康になる商品の電話販売の番組ばかりがやっていて、私はほとほと、テレビという毒が嫌になっている。

私はテレビが好きではないし、20年以上テレビのない生活をしているけれど、でも、母の生活にはテレビが欠かせないので、母の家では母の生活を尊重して、私は口を閉じる。

それまでぼんやりと、テレビの画面を見ていた母が、突然顔を上げ、目の光を変えて神妙な顔になり、まっすぐに私をみつめ、「ユキに聞いてもらいたいことがある」と言った。

私は、ドキッとしたが、それが母にとってとても重要なことなのだろう、ど感じ、あんまんの乗っていたお皿を二枚重ねてから、組んでいた足をほどき、姿勢を正して、母のまっすぐな視線を受け止めた。

母は、脳に大きな腫瘍があり、言葉がうまく話せないし、物事を理解することが、もはやうまくできなくなってしまった。

だから、母が話す言葉は支離滅裂で、主語も名詞も動詞も、すべてがめちゃくちゃなので、きちんとした会話にならない。

元来、話好きの本人は、喋りたいことをきちんと喋ることができなくて、それはそれは、とてもつらそうだ。

けれど、聞いている私も、心を静めてゆとりをもって、イライラしないように気を付けて、とても好意的な気持ちで、フルに想像力を使って聞いてあげなければならない。

その母が、うまく出てこない言葉に苛立ちながらも、「ユキに話したいことがある」と、わたしに自分の過去の小さな過ちについてを告白した。

それは、私から見ると(世間一般的にみると)とても小さな間違いで、誰も傷ついていないし、誰しも起こす可能性のある出来事で、そして、誰しもそれほど深く気にせず通り過ぎるであろう出来事だったというのに、母はその後5〜6年間、ずっと、その時の自分の間違った選択に対して、自分を責め続けて苦しんだという。

苦しくて、苦しくて、後悔して、後悔して、申し訳なくてどうしようもなく、もう、死んでしまおうか、と思ったほどだ・・・と聞いたときは、どれほど母が自分を責めて、どれほど自分自身で自分を傷つけるタイプの人間なのかというのを、改めて知った。

絶対に誠実でありたい、曲がったことは絶対にしたくない・・・という母の信念が、彼女をそれほど苦しめたのだ。

どのように苦しんで、どのように傷ついたのか、をめちゃくちゃな言葉でつなぎ合わせて(それを私が想像とテレパシーで理解して)、本当に苦しそうに、母は顔をゆがめて、胸を掻きむしる動作を繰り返した。

本当に、つらかったのだろなぁ。



ひとしきり話した後、

「ああ、ユキに話してよかった。胸が軽くなったよ。ずっと誰にもこんな申し訳ないこと話せなかった。ユキが聞いてくれてよかった。もう昔のことだからいいよね。もう、いいんだよね」

と、頬の緊張を緩め、目じりが少し下がって、さっき胸を掻きむしっていた手で、今度は静かに同じ手で胸を撫でている。

私は、ニッコリと笑顔になって、「よかったね、お母さん」と伝えた。

私はなにも言わず、ただ相槌を打っていただけだったのだけれど、ジャッジも慰めもせず、ただ聞いてくれる・・・という、ただそれだけが母にとって必要だったのだろう。

母の誠実さ、まっすぐ過ぎて不器用なところ、自分を戒める気持ちの強さ・・・よく知っている、私の愛すべき母。

誰にも相談できなかった、その母の性質もとてもよく知っている。

そして、私に話してくれたことを、心から嬉しく感じる。

「ユキ、ありがとう、聞いてくれて。気持ちが軽くなったよ」無邪気にそう言う母が愛しくて、鼻の奥がぐっと苦しくなって、あわや目から水が溢れそうになる。

それを、抑えるためにまた私はニッコリと笑い、「よかったね、お母さん」と言った。

私は、慰めようとも、母の気持ちを軽くしようとも、話を膨らませようとも、なにもせずに、ただ、ハートを開いて聞いていただけだ。

でもその「聞く姿勢」が、話す側にとって、一番、癒されるのだと(仕事柄)知っているから、私は母にもそうした。

母の少し安堵した顔を見ながら、心の中で祈った。

母が、どんどん、癒されますように。

もっともっと自分を許して、自由になっていきますように。

母の苦しかった人生のすべての経験から残る、すべてのつらい記憶が、泡となってポコポコポコポコと消えて無くなっていきますように。

日に日に、物事の理解ができなくなり、少しずつ、動くことが困難になっていく母。

そんな母に、「良くなってほしい」とは私は願っていない。

もちろん、「これ以上悪くなりませんように」とは願っている。(でも、それは無理な願いだと知っている)

しかし、「良くなってほしい」と願うことは、「今の状態の母を許せない」、という思いがあることと等しいと私は思う。

だから私は、そう願う代わりに、どんな状態のどんな母でも許したい。

もしも、なんにもできなくなっても、全部、許したい。いやすでに、全部、許してる。

言うまでもなく、ずっと一緒にいたいに決まっているけれど、でも、人間の命は生まれた瞬間から、終了することが決まっているのだから、

だったら、命ある限り、そのままで、ありのままでいいから、ただただ、幸せでいてほしい。

言語がめちゃくちゃでも、日常生活がうまく過ごせなくても、世話が焼けたとしても、あるがままでいいから、幸せを感じて過ごしてほしい。

母が、とにかく幸せでいてくれることを、母の胎内から生れ落ちた、あの瞬間から、ずっとずっと、私はこの人生の中で、ただそれだけを願っている。

地球に生まれて、初めて愛を学んだ関係性である母という人は、

こうして、まだまだ、まだまだ、私の中にある愛に、気づかせてくれる存在なんだ。

なんて尊い存在なのだろう、母親とは。



ありがとう、お母さん。

押しつけではなく、恐れからでもなく、ただ、あなたに愛をお返ししたい。

私のできる限りの愛をあなたに。



私はまもなく、ドイツに戻る。

延長したらいいのに、とつぶやく母。

でもそれはできない。ドイツの家族と、クリスマスを過ごす約束をしているのだ。

クリスチャンの彼らにとっては、クリスマスを家族で過ごすことは大きな意味があり、私はドイツの家族と一緒に過ごす、愛と信仰に満たされたクリスマスが大好きだ。(日本のフェイククリスマスとは違って大きな意味があるのだ)

そして、日本人であり、クリスチャンでもない私を、本当に温かく優しく、家族の一員として迎え入れてくれ、広々と受け入れてくれた、ドイツの家族のことを心から愛しているし、大切に思っている。



とはいえ、私が遠くに離れてしまうことで寂しそうな母を見ると、本当に胸が苦しい。

でも、ドイツで待つ最愛の人とのハグとキスが、たまらなく恋しい。

このグルグルと渦を巻いている胸の中の感覚は、やはり、すべて愛から生まれているのだろう。

気が緩むと、涙が出て仕方がないけれど、これは一体、なんの涙なのか、タイトルをつけることができない。

でも、この胸の中の、愛のグルグルから湧き上がっていることは確かだ。

そんな気持ちと共に、ビュウビュウとスカートを揺らす今日の午後の強風の中を散歩していたら、

このあたりでは見たこともない珍しいカラフルな鳥が一羽、意味ありげに私の近くに寄ってきて、強い北風に吹かれながら、私をみつめていた。

わたしも、その暗さと明るさが美しく調和する珍しい鳥をみつめながら、風に吹かれていた。

残りの日本滞在、あと2日間。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:51| 心あったかもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月10日

いま、浜に座って、波の調べを聞いている



海は、留まることなく、常に動いている。

水は、こだわることなく、常にかたちを変えていく。

山は、動じることなく、常に瞑想して生きている。

森は、拒むことなく、全ての命を育んでいる。

生き物たちは、絶えることなく、循環していく。




島は感染者が突然、急激に増えている。

島の男性が言った。

「こんな小さな島にコロナが広まったんじゃ、まるで航海中のクルーズ船と同じなんだ。逃げ場がないんだ。だから島に住む俺らは、必要以上に怖がりで、俺らは怖くて仕方ないんだ」

私はそれを聞いて、眉をしかめてから目を閉じ、彼らの恐れがジンジン感じられて、本当に心が痛かった。

守られている、と、逃げられない、は、同じコインの表と裏。



いま、浜に座って、お祈りをしている。

地球全体でのアウトブレイク。

地球もいわばクルーズ船で、地球に住む私達は、どこにも逃げ場はないのだ。

だからこそ、地球全体で助け合って、愛し合って、どう生きていくのか。

私が怖いのは、恐れに支配された人間たちが、愛から遠ざかっていくこと。分離されていくこと。

それは、完全なる不調和の種となる。



いま、浜に座って、波の調べを聞いている。

長い髪が風の流れを受け、驚いたようにジタバタと泳いでいる。

砂浜に長く遠く向こうの方から、いま座っているここまで延びて来ている、自分の足跡をじっと見つめる。

ここまでやってきて、ここから新しい足跡を作っていく。

私たちは、どんな足跡をつけて、この先に歩いていくのか。

それは、かけがえのない一歩一歩、にかかっている。

物事のひとつひとつの、些細なことから重要なことまで、人生の中でのすべての選択肢を

どう選んで、なにを見つめて、どれを信頼していくのか、

それによって、未来は違うドラマとなっていく。



だから、いま。

いま、自分がなにを選択して、どう決断していくのか。

地球に住む住民として。

ボンヤリと生きてる場合じゃない。

情報に埋もれてモヤモヤしてる場合じゃない。

試されているんだよ。

どう生きるか。

いったい自分はどう生きたいのか。

それを根底に置いて、すべての選択を見つめていくんだ。

それが、地球の未来への一歩一歩となる。

合掌



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 10:56| スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月09日

(ぶらり旅)奄美ナイトブルー



「つぶやき・奄美ナイトブルー」


雨が降っているというのに、でもなんて美しい青。

この雨じゃ加計呂麻グレーなんじゃない?とつぶやきながら車を走らせて来たら、

いやいや、雨でもちゃんと「加計呂麻ブルー」だった。感動。

晴れていたら、どれほど「ブルー」なのだろうか・・・と想像してまた、感動。



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ここは奄美大島・瀬戸内町。加計呂麻島に寄り添う玄関口。

徳之島での1週間のライトワーク・シャーマンお仕事を終了し、昨日、フェリーで奄美大島に移動してきた。

この一ヶ月余り、無視できないほど強烈に徳之島に呼ばれ、ビジョンも声もバンバンやってきて、

もう腹をくくって、一週間程前に、空を飛んできたのだった。

理屈での理由もわからず予備知識もなく、スピリットの声だけを信頼して。



ノープランの真っ白な台本だったわたしの旅は、

一瞬ごとに点と点が繋がっていき、

糸と糸が紬ぎあい、

すべてが一つの誤差もなくピタリとはまったら、

豪華な大輪の華となって、

そしてわたしは、なるほど。

今回の奄美群島でのお役目の意味が分かったのだった。



昨日、発つとき、徳之島にも引き留められ、あわやフェリーに乗り遅れるか、のハプニングのあと、出港数分前にギリギリ滑り込み乗れた。汗かいた。

かと思ったら、本当は今日、羽田に飛び帰るつもりだったけれど、いやどうしても瀬戸内に行けと、体を張って止められた。スピリットに。

そして、飛行機に乗る代わりにレンタカーを借りて、ワイパーのリズムをBGMに、南へ南へハンドルを握った。

いま、

古民家を改築したオシャレで心地よいゲストハウスに一人座って、あちこちの窓からの雨の音と、軋む古民家の声を聞いている。(この町は自粛中で他に宿泊客はいないので貸切だ)



こういうの、最高に楽しい。これだから、ノープランのひとり旅はやめられない。

計画を立ててしまったら、なにも聞こえない、なにも見えない、旅の本当のギフトを受け取ることはできない。

そして、この奇跡のような旅は、一人じゃないとできないんだ。



最近私は、日本人の20代30代の若い子たちと話をする機会が度重なってあり、若者たちをとても見直している。

この旅でも、若く真っ直ぐな人たちと何人か出会い関わった。

この古民家ゲストハウスのオーナーも、若く純粋な青年で、話をすればするほど、そのひたむきさと、恐れなく変化を起こしていく創造性と、

ただ一歩一歩を切ないくらいに楽しんでいる、その姿に頭が下がる思いだ。

日本の若者、いいねいいね。

彼らから、新鮮さのかけがえのなさと、リスクを恐れない人生への信頼は、未来の自分の自画像を描くための絵の具集めなのだ、(色はたくさん集まったほうが、楽しいものが描けるに違いない!)というような「希望」をたくさん学ばせていただいている。



そして、スピリットたちのガイド。スゴかったな、今回の旅も。

かなりミステリアスで面白いドラマだった。

近いうちに、文章を書く練習のため、エッセイにして書こうかな、と思っている。

奄美・徳之島での9日間の私のスピリチュアルアドベンチャー。

出会った人々、起こったすべての出来事、感じたわたしのパワーアップした感受性、シャーマニックヒーラーとしての成長、私の個性と秘めたる魅力に、

ありがとう。ありがとう。ありがとう。



でもタイムアップ。まだ続けたいけれどもう帰らなきゃ。

病気の母が、首を長くして私を待っている。

母との限られた貴重な時間も大切だ。

奄美での最後の夜が、柔らかな雨と逞しい波の音と共にゆっくりと暮れていき、

闇と静けさが、私の持つ一秒一秒の間と、島の持つ一息一息の隙間を、濃く、揺らめきながら、密やかに埋めていく。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:07| ぶらり途中下車(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする