イギリスでの、またまた濃い〜トレーニングからドイツに戻り、大きな気づきと癒しのプロセスの中にいたわたしの、数日前に起こった、美しい瞬間をシェアしますね。
わたしは、ベンチに座っていました。
春になり、ポカポカ陽気の一日の終わりの、サンセットの時間でした。
そこは、動物たちを飼育しているコミュニティの広場で、アヒルや、孔雀や、うさぎや、ヤギが、ロバが、柵の中で生活しているミニチュアの動物園?のような、公園のような場所でした。
わたしは動物が大好きなのでしばしば、そのコミュニティ広場にお散歩に来ています。
その日はもう夕方でしたので、動物たちは小屋に入ってしまって、姿は見えなかったのですが、動物の気配が静かに残っていました。
わたしは、その柵の前のベンチに座り、動物たちの気配と共に、沈んでいくサンセットに向かい合い、目を閉じて、まぶたに夕日を浴びていました。
そのときのわたしは、悲しみのど真ん中にいました。
ある出来事が引き金となって、古いトラウマが突然わたしを打ちのめし、わたしは「家」にいることができずに、一人で外に出ていました。
かれこれ、6時間ほど、心の中の「家」を失ってしまった気持ちで、ただ彷徨っていました。
新しく生活を始めたミュンヘンでは、まだ活動範囲が限られているので、どこに行ったらいいのかわからずに、ただ、わたしは足が向くままに歩いて、歩いて、歩き疲れて、ベンチに座っていました。
言葉の通じない国に住み始め、知り合いも友人もほとんどいないし、うまく想いが伝わらない、これまでのわたしのアジアの生き方と全然違う文化の場所で、
「孤独感」からの古いトラウマに呑み込まれそうになり、「わたし」という人間の「存在価値」を見失いかけていました。
穏やかに鳥のさえずりが聞こえる夕方。
わたしは目を閉じて、傷ついている「わたし」を見つめていました。
人間として「感情」を持つことは、素晴らしいこと。
ほかのどんな生き物よりも、人間の「感情」はとても繊細なエネルギー。
それを、消去しようとしたり、抑え込んで蓋をしようするのは、とても不自然なことなのだと感じます。
だから、感情を削除するのは不可能なことだと思うのです。
でも、その感情に振り回されてしまうのは、「真実」を見失うこと。
わたしは「感情」をただただ観察します。
それが、振り回されて狂気にならずにすむ、わたしにとっての最善の策です。
傍観者になって、「わたし」が抱えている「痛み」をよくよく理解しようとします。
自分自身のよき「ヒーラー・カウンセラー」になって、「わたし」に寄り添い、みつめます。
そして、
いま感じているこの感情は、「いま」の傷が原因ではないということに、気づいています。
そして、古い古いわたしを、抱きしめ、愛します。
わたしは、ベンチに座り、悲しんでいる「わたし」を見つめていました。
それは、悲しみに浸って自己憐憫になる・・・・のではなくて、ただただ、冷静に、「わたし」を見つめているということ。
目を閉じて、温かなサンセットライトに向かい合い、太陽のエネルギーを吸い込み、古い記憶とトラウマを吐き出し、自分の身体とエネルギーのネイチャーシステムを循環させる。
肉体の中のスペースが、呼吸とともに動きを生じ、空気の流れと共に微細に振動するのを、一瞬ごとに丁寧に、丁寧に、味わっていました。
ふと、
目の前に気配を感じ、そしてなにやら声がして、わたしは、ゆっくり目を開けました。
目の前のサンセットからの光をバッグにして、60歳くらいの女性が、わたしの目の前2mほどのところに立っていました。
彼女は、洋犬の子犬の首につながっている紐を手にしていました。
こちらを向いてなにか話しているのですが、わたしに向かって話しかけているのか、または、わたしのほうに近づいてきている子犬に向かって話しかけているのか、わたしはよくわからず、なにも答えずにぼんやりとしていました。
子犬がフンフンと匂いを嗅ごうとわたしに近づいてくるので、女性はもう一歩前に近づいてきて、またなにやら話しかけました。
今度は、わたしに向かって話しかけているのがわかりましたが、ドイツ語なので意味が分からず、またぼんやりと彼女の顔を見ていると、察した彼女は英語に切り替えて話しかけてくれました。
「あなたはとても落ち着いて、穏やかで、安らかに見えるの。だから、この子犬があなたに近づいたのね。この落ち着きのない子犬に、あなたの静けさを教えてあげてくれる?」
彼女はそう私に伝えて、わたしの足元にいてせわしなく動いている子犬に、動きを止めて静かにするように言葉と手で促していました。
子犬は、白とライトブラウンの模様の洋犬で、耳が長く垂れ下がっていて、体毛がなめらかで触ると、するすると、とても触り心地がよい。
「ほら、〇〇ちゃん、あなたはもうちょっと落ち着くことを学ばなきゃいけないわよ、彼女から少し教わりなさい」
子犬は一向に落ち着こうとしない、彼女は続けて言いました。
「たいていの人は、この子犬を見ると、キャーカワイー!!キャー!!・・・ってみんなはしゃいじゃうから、だからこの子もはしゃいじゃってね、全然、落ち着くことを学ばないのよ。だからあなたみたいな人の近くにいて、学ばせなきゃいけないのよ」
わたしは、実は少し困惑していました。
どっぷりと「わたしは存在する価値がないのではないか?」というトラウマの中にいる自分をみつめていたから、そのわたしの姿(波動)が、とても穏やかで平和的だ・・・・と彼女が感じたことに、意外な気持ちでいました。
返す言葉がみつからなくて、わたしはただ子犬を撫で、彼女は続けて話し続けていました。
しばらくたって、
「どうもありがとうね」
と彼女が言って、立ち去ろうとしたとき、わたしはまだ繊細な精神状態だったので、言葉が出てこず、いつもの(ヨガの)癖で、両手を胸の前で合掌して、ぺこりと頭を下げました。
「あら?あなたは、日本人?」
「はい、そうです」
「やっぱり!ほら、ドイツにはあなたみたいな人が必要なのよ。静かで落ち着いているあなたから、わたしたちはたくさん学ぶことがあるわね。いてくれてありがとうね。」
そう言った彼女が立ち去った後も、わたしは、今まで彼女がいた空間をみつめていました。
わたしがトラウマの罠にはまり、一番否定していた「自分の存在」を、
彼女は子犬と共に風のようにやってきて、爽やかに、自信をもって肯定して、去っていった・・・。
私は唖然とした気持ちでいたましたが、これは、完全なる神聖な偶然なのだと感じました。
見えない存在からの、気づきと癒しのプレゼントなのだと。
それは、今世での先祖からの助けと、過去世の先祖からの助けなのだと、確かに感じました。
わたしは自分のトラウマをみつめ、そして気づき、そして、それが「真実」ではないのだ・・・と、解放された気分でした。
わたしは驚きと共に、救われ、満たされた感謝で胸がいっぱいでした。
顔を上げ、オレンジ色に変わりゆくサンセットをみつめ、
一息深く吸って、そして、長く細く吐き出しました。
そのとき、
目の前を男性が自転車で横切りました。
男性は、ヘルメットをかぶり(多くのドイツ人は自転車に乗るときにはヘルメットをかぶる)、サングラスをかけて、リュックサックを背負っていました。
ベンチに座るわたしの目の前を横切る瞬間、わたしのほうに顔を向け、笑顔でなにか話しかけ、そして、すいーっと、走り去っていきました。
ドイツ語だったので全部はわからなかったけれど、「・・・・・美しい」という、単語だけは聞き取れました。
きっと、「夕日が美しいね」と声をかけてくれたのだと思います。
これまでの経験で、ドイツ人は、あまりフレンドリーではなくて、怒りっぽい印象があったので、突然、このどうみてもアジア人の見知らぬわたしに声をかけてくれたことに驚きました。
きっと、さっきの女性が言ったように、わたし(の波動)がとても穏やかで安らかに見えたから、彼に無意識的に声をかけさせたのでしょう。
わたしは、自分の存在が、本当に世界から歓迎されているように感じ、この偶然であり必然の出来事に大きく感動しました。
その後、「家」に戻る道へと、足が向きました。
永遠の旅人である私の中の「家」はいつでも「ハート」にあります。
わたしの人生の中では、2002年から旅人の人生が始まり、2007年くらいからアジアの各国で活動をして、アジアのいろんな国(インドがほとんどですが)に住んだり、長期滞在していたわたしが、2016年からヨーロッパとご縁がつながり、頻繁に長期滞在するようになり、そして、今年、本格的に住民になって2か月が経ちました。
外国生活が慣れているわたしでも、これまではアジア・オセアニアが多かったので、ヨーロッパでの生活は、慣れるのに時間がかかることを知り、驚いています。
自分の「文化の違い」を見せつけられ、「日本人・アジア人」としての自分では生きにくいことがたくさんあって、でも変えることのできない「日本人」という染みついている文化や風習など、自分のものの考え方や、人とのコミュニケーションの取り方、しぐさや物腰など、細かいことのひとつひとつすべてにある「枠」がヨーロッパのものと違うので、内観フェチのわたしにはそれがとてもクリアに見えて、そんな自分自身への居心地の悪さを感じていました。
ヨーロッパ人と同じようにふるまうことができない「日本人」の自分は、異邦人で、古いトラウマからのプロセスと混ざって、自分の存在・・・わたしはここにいては申し訳ないような気持ちでいました。
わたしが、このプロセスから学んでいることは、
自分とは違うものを理解しようとすることは、それと違う自分自身を理解しようとすることなのだな、ということを・・・それを心底感じます。
そして、「違い」を理解しようとし、活かしあおうとするところに、戦争や競争や争いは起こらないんだ。
「世界の平和」というのは、こうやってコツコツと、個人の中から気づいて、築いて、いくものなんだ、と心から感じました。
翌日の朝。
わたしはヨガマットの上にいました。
軽い呼吸法の後、身体の声を聴いて、そのときに必要なアーサナを肉体に与えていました。
自分を感じながら体を動かしていると、これまで凍り付いていたものが動き出したのが分かり、そしてそれが溶けて涙となって出てきました。
凍り付いていたものの正体はそれ以前はわからなかったけれど、動いて、溶けて、液体(涙)になり、流れる・・・という現象になって初めて、「それ」が認識できました。
わたしは、ヨーガマスターでありスピリチュアルヒーラー・カウンセラーであり、シャーマニックダンサーであるライフワークのわたしは、日々、自分をみつめつづけています。
日々の肉体的な実践の中で、ヨーガアーサナと、自由に踊る動きの瞑想を使い分けて、自分のケアをしています。(ほかにもジョギングとか、スポーツもしますが)
それは、「型のある(アーサナ)中で自由を探すという技術」と、「枠のない(フリームーブメントダンス)中からそのときの自分特有の型をみつけていく技術」、だとわたしは感じています。
わたしにとっては、どちらが良いでも悪いでもなく、両方がたくさんの叡智を導いてくれます。
その朝の私は、ヨーガアーサナで凍り付いていた「それ」をみつけ、溶かし、その後、自分を自由にさせるフリーダンス瞑想で解放と、癒しが起こりました。
踊るわたしは、ただただ、悲しくて泣きました。
そこには、「なぜ?この涙はなんなの!?」という、ナンセンスな支配的な追及はなく、ただ、泣きたいから泣きました。
身体の細胞一つ一つには、これまでのすべての感情や経験を記憶されていて、そして、それはずっとそこに保存され続けています。
身体はすべてを知っています。
神聖が宿る、神聖なるお寺です。
一緒の部屋の少し離れたところでヨーガをしてたパートナーの邪魔をしてはいけない・・・・と、わたしは違う部屋へと移動し、ただ泣くためだけに「尺八」のBGMをかけました。
「尺八」を選んだのは、「日本」のスピリットを感じるからでしょうね。無意識でしたが。
数日前に尺八のコンサートで瞑想をしたのも、偶然の必然だったのでしょう。
わたしにとっての「日本」とのコネクションの中で、これまで傷つき、凍り付いていたものが、どんどん、涙となって流れていきます。
涙を流れるがままにさせていたところに、様子がおかしい私を心配して、パートナーが部屋に入ってきました。
わたしはただただ泣き、「古いのが溶けて表れてきたの」というと、パートナーはそれだけで納得し、なにも聞かずに、ただ静かに隣にいてくれました。
「身体の中の細胞はいくつあるか知ってる? 60兆だよ。 そのひとつひとつすべて古い記憶をキープしているんだよ。 身体はすごいよね。 無限の学びの可能性だよね。 どんどん古いのを出していかないとね。」わたしは、涙を流しながら語る。
「本当にまったくだね。」彼は心底納得する。
わたしは私を抱きしめ、わたしを抱きしめているわたしをパートナーが抱きしめ、そうしている彼は彼自身の悲しみと共鳴して、わたしを抱きしめながら、彼自身を抱きしめているようでした。
そこには、自分自身と真摯に向き合う個人に灯る愛の光と、そして、その個人と個人のあいだにある、愛の光、そして、そこから波紋のように広がる集合意識的な愛の光があり、それが広がっていました。
人間として、魂の響き愛として、地球の一部として、人類として、たくさんの共鳴があり、それが、気づきと癒しへと続いていました。
わたしは、
深く呼吸をして、自分の中の風を感じ、
人生の中で起こる、瞬間、瞬間の奇跡を、
味わい尽くします。
わたしは、
生きるって、そういうことだと思うのです。