3/28 新月
3月に入ってからずっと、疼いていたものを整えました。
陰は果てしなく陰であり・・・・ 陽は限りなく陽・・・・
深い深い 闇と・・・・・ まばゆいほどの 光・・・・・
人間として生きるわたしが、わたしを極めていくための、両極。
どうしても、いま! という直感がありました。 いま、どうしても必要!と。
新月 陰陽統合のシャーマニックセレモニーを行いました。
これは、プライベートで行った、個人的なセレモニーでした。
本気です。
肉体、エネルギー、意識での準備をすっかり整えたわたしは、
自分自身の「獣性」を120%、尊重して、森に入りました。
パラパラと雨が降り、その天からの動きが、森をかすかに揺らしていました。
ひんやりとした森で、シャーマニックドラムを叩き、儀式の始まりの歌を歌い、わたしは森とともに踊りました。
大地に息をひそめている闇と、わたしの慎重すぎる獣性が、同調して働き、それを地球がしっとりと見守っていました。
突如、雲が晴れ、太陽が強い日差しとともに、まっすぐに森に参加してきました。
すべては、最善であり、最適なタイミングで始まり、起こり、そして、終わりました。
感動しました。
「獣性」を脱いだわたしは、とたんに弱気になり、なぜかこのセレモニーを完結することをやめようかと、葛藤しました。
私の中の、足踏みをするなにかが、この「統合」を恐れていました。
頭が割れそうに痛くなり、苦しくて、座っているのがやっとでした。
しかし、わたしは、この葛藤は、幻だということを知っていました。
心底、求めていることは、実は、心底、恐れていることなのだ・・・・ということも知っていました。
わたしは、その葛藤のすべてをみつめ、味わい、手なずけつつ、
音もなく、なんの合図もなく、第二部が、おもむろに幕開けしました。
腹をくくったわたしは、言葉も発せず、ただ黙々と、自分自身の「人間性」に花を捧げました。
ひとつひとつ、献花されていく美しい花々をみつめていると、なんとかけがえのない瞬間を生きているのだ・・・・と
涙が溢れ、息が詰まるほど、胸がいっぱいで、感激しました。
こうして、わたしが、あるがままで許されていること・・・・・
ありのままで生きていくことに「許可」を与えること・・・・・
わたしが「わたしのまま」で存在することに・・・・・・感激で涙が出ました。
わたしの「女神性」は、心底、純粋であり、寛容であり、誠実で温かく、まるで子宮のようでした。
なんの期待もなく、なんの要求もなく、ただただ、体を揺らし、
女性に生まれたこの柔らかな肉体を、ただただ、愛し、味わい尽くしました。
光として存在することの、尊さを身体で経験しました。
闇であるものも、光であるものも、すべてを包み込む 愛。
わたしたちは、愛 そのもの。
柔らかく 清らかで そして 純。
おもむろに セレモニーは終了し、そしてわたしは、エネルギーを使い果たして、
座っていることもできず、倒れこむようにしてベッドにもぐりこむと、ひたすら昏々と眠りました。
なにかが、大きく変容しているとき特有の、身体の軋みが通り過ぎるのを、じっと待ち、ひたすら眠りました。
そして、わたしは、より一層、自由になっていきます。
すべての側面である「わたし」を受け入れ、そして、それをまっすぐにみつめます。
「闇」も、しっかりとみつめ味わうことで、光り輝き、命のきらめきになるのだということ。
なにものもわたしを邪魔することはできない。
そして、自分自身に刷り込まれている「観念」さえも、わたしの意志を邪魔させない。
わたしの「本質」との絆が、また強くなりました。
ありがとう。
世界の平和につながりますように。
このエネルギーが、あなたのお役に立てますように。
この記事を載せることにも葛藤しました。
でも、わたしにとっての大きな意味のある美しいセレモニーを通して、
皆さんが、偏見を持たずにみてくださると信じて載せました。
わたしは、いつでも、まっすぐ、まっしぐらに「わたし」を生きています。
合掌