2017年02月27日

ドイツ19「新月の祈り」



2017年2月の新月の日は、お気に入りのイザー川にて、祈りの時間。

すべてのかたがたが、「真実」だけを信じていけれる、

芯のある勇気を持てますように。

とても大きな癒しと、解放の新月でした。


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愛すべきあなた。

あなたの人生のすべて、すべてが、あなたの一部であり、

喜びも、苦しみも、すべて、すべてが、あなたの一部。

美しさの定義とは、「光」だけに偏るような、そんな浅はかなものではなく、

あなたしか持ちえない、あなたの真なる魅力は、

闇から影へと、見え隠れしている、神秘の輝きから発せられる。

あなたは、あるがままで、美しい。

愛すべきあなたは、あるがままで、愛されている。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:12| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

ドイツ18「ふたつのコンサート」



数週間前ですが、

オーケストラのクラッシックコンサートに行ってきました。


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人生、初体験です!

いくつになっても、初めての体験はわくわくします〜

そして、一生、ワクワクして生きていきたいです〜


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素晴らしかったです!

人間のエネルギーが作りだすアートは、本当に、すごい・・・!!

音楽も素晴らしいのですが、その迫力と、エネルギーは、本当に美しい芸術です。

楽器を演奏するかたがたの、シンクロナイズドしている動きも、

まるで、ダンスを見ているかのようで、とても惹きこまれました。

感動しました・・・!




そして、先日は

日本人の盲目のピアニスト 辻井伸行さんのピアノコンサートがあると聞いたので、

ミュンヘンの古いコンサートホールに行ってみました。


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こちらは、前回と違って、古いスタイルの小ぢんまりしたホールです。

でも、こちらのほうが味があって、私は好きですね〜



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日本人ピアニストということもあって、日本人のかたがたがたくさんいて、なんだか、とてもホッとしました。

やはり、同じ国のかたがたとは、無条件でホッとします。



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ベートーベンのムーンライトソナタから始まった後半の演奏・・・・・

彼の感情的な表現力の素晴らしさに、グングン、魅了されていきました。

すごい才能です。 

最後に、彼が作曲したという曲を演奏してくれました。

それは、2011年の3.11の津波アタックのときの追悼の曲だそう。

感動で、胸がいっぱいになりました。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:43| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

ドイツ17「ヨーガクラス」



ドイツでも、ヨーガを教える時間をもっています。

あまり、ブログには書いていませんが、こちらでも、ヨーガの智慧と、わたしの叡智を、シェアする時間として、ヨーガ教室をちらほら、させていただいています。

まだ、プレオープンな感じで始めてみているので、あまり、公表はしていのでブログにも書いていませんでしたが、今年の夏以降に、本格的にミュンヘンでも初めて行こうと考えています。



日本を離れて、いろんな国で、たくさんのかたに、ヨーガの経験をシェアさせていただくことは、

本当に、本当に、わたしにとって、歓びです。

ヨーガのクラスでのわたしのガイド・ナビゲーションは、わたしにとって、

「愛の表現」であり、させていただくことで、本当に、自分自身も愛で満たされます。

だからわたしは、「ヨーガ指導」という言葉は、あまり当てはまらないな、と感じるのです。

わたしがヨーガクラスの時に行っている姿勢は、「ガイド・ナビゲイト・シェアリング」という言葉で、表すとしっくりきます。

「教えている」という気持ちは、違うなぁ〜と感じます。



思い返せば、本当に、いろんな国でヨーガクラスをさせていただく機会があったなぁ〜〜〜

オーストラリア、マレーシア、インド、バリ、プーケット、ネパール、ミャンマー、アメリカ、ドイツ、イタリア、フィンランド・・・・・ あと、どこだっけ? 忘れちゃいました。

本当に、たくさんの国のかたがたに、ヨーガをシェアさせてもらった。

とくに、海外のリゾートホテルでヨーガティーチャーをしていた時は、世界各国の人たちが生徒さんとして参加してくださって、様々な国の文化に触れさせてもらって、素晴らしい経験となりました。

そして、ここ数年も、インドの瞑想道場でインターナショナルな合宿でのヨーガ指導をさせていただく機会に恵まれているので、いろーーーんな国からくる、スピリチュアルシーカーたちと触れ合うことができて、本当に本当に、刺激になる良い経験をさせてもらってます。



いろんな国のかたがたにヨーガを提供させていただいて・・・・・やっぱり、ヨーガクラスの中でいちばんピッタリ、しっくり、わたしの繊細な感性とマッチするのは、

日本人のかたがたなんですよね。

やはり、「感性が豊か」でみたら、日本人の繊細さは、世界一だと思う。

もちろん、よくないよなぁ、と思うところもたくさんあるけれど、日本人は、繊細に「感じとる力」が世界一だと思う。

だから、「空気を読む」こともできるし、行間や文字の間から感じることができる「短歌・俳句」なども理解できるんだよね。

素晴らしい。



身体に関する指導は1997年からしているので・・・・、わお、2017年の今年でもう指導歴20年だ!

あらら、いつのまにか、こんなに・・・・! 

もう結構キャリアがあると言ってもいいよねぇ・・・・・・・けれど、

いまもまだ、ずっと、新鮮な気持ちでヨーガ指導をさせていただいています。本当にそうです。

毎回、毎回が、本当に、尊い一瞬、一瞬の、気づきと学びの連続です。

ありがたいなぁ。

ありがたいです。

合掌


なにか写真を載せたいのですが、適当な写真がなかったので、お気に入りのカフェで寛いでいるわたしの顔でよいでしょうか?(笑)

スカイプでのヨーガセッションも行って居ります。お互いの姿を画面で見ながらヨーガが出来ますよ。
ご案内はこちらです。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/442010860.html


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:21| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

ドイツ16「癒しの鳥さん」



ドイツの、この鳥の、メロディアスな歌声が好きです。

日本でも、インドでも、ネパールでも、聞いたことがない歌声です。

とっても、かわいくて、朗らかで、楽しげで、歓びに溢れていますよ。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:53| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

スイス2「Arc of Time集中ワークショップ」



スイスのアーラウという小さな町で、3日間の特別な集中ワークショップを受けてきました。

これは、最近わたしがとても気にいっている Movement Medicine という団体の行うワークで、ムーブメントの中での瞑想・・・・クンダリーニを目覚めさせ、シャクティを活性化する踊るヨーガとも言えます。

今回の集中ワークショップは、過去と未来をつないでいく、というコンセプト。

自分の今世での過去だけではなく、もっと昔に、昔に、さかのぼって、人類が裸で生きていたころまでさかのぼり、そして、すべての過去を、いま現在の自分の叡智として輝かせ、これからの美しい未来の地球へとつないでいきました。

今回は、ほかのワークショップとかなり違っていて、まるで、踊りながらのヒプノセラピーでした。

そして、周りの人々と、言葉ではないエネルギーで助け合い、慈しみあい、愛を交歓しあうことで、

ひとりでは、見つけられなかった解決策や、乗り越えられなかった巨大な闇や、怖くて開くことができなかった心の箱を、しっかりとみつめることができます。

本当に、素晴らしい学びでした。

わたしは、また、何枚も、何枚も、脱ぎ捨てました。

これまでも、ずっと、人生をかけて、何枚も、何枚も、脱ぎ捨てているのですが、この脱ぎ捨てていくこと・・・・気づきや目覚めが、魂の学びであり、それは、生きている限り、瞬間、瞬間ごとに、続いていく、美しさなのだと感じています。

そして、それはいろいろな方法で脱ぎ捨てていくことができるので、いろいろなやりかたがあっていいのだと強く感じます。

そして、とても複雑に着こんでいるので、いろんなやり方で脱ぎ捨てていくことが、必要なんだなぁ、と強く感じます。

どうやって脱ぎ捨て、真実であるところの「pure self」のみを信じていくのか・・・・わたしがこれまで培ってきた経験と、また違う目線でのアプローチも、自分の中で納得が行きました。

この命が生き続けている限り、ずっと、自分自身を理解して輝かせていきたいです。

それが、歓びであり、わたしという生命への祝福だと思います。

そして、わたしが、その学びを深めていけばいくほど、わたしとご縁のあるかたがたへのサポートになるのだと確信しています。



今回は、わたしの人生の過去をさかのぼり、悲しみと苦しみを、踊りとともに解放していきました。

涙が止まりませんでしたが、踊りながら泣き尽くし、そのあと、その悲しみの中にどっぷりとつかったら、

夜明けが、急にやってきました。

そこには・・・・・、

感謝と、愛しか、ありませんでした。

生きていること、存在していることに、ただ祝福を与えるために、今度は感謝の涙があふれて止まりませんでした。

それをただただ、なすがままに流しながら、身体を自由に踊らせました。

雨も降り、太陽も照って、そして、わたしは、息をしてここにいる・・・・、存在しているただそれだけで、愛なのだ・・・・。



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それをみつめようと思うこと・・・・・。

本当に勇気のいることでした。

でも、わたしにはその勇気があると、確信をもっていました。

そして、その箱は開きました。

開くまでは、とても混沌としていました。

ほとほと疲れてしまって、帰って眠りたくなりました。

でも、そこには、無意識に抵抗しているなにか理由があるのだということを、わたしは気づいていましたから、その、ネガティブ反応もとことん、みつめ続けました。

混沌の中で、動けなくなり・・・

でも、それが開く瞬間は、なんのことない、小さなきっかけの、小さな言葉でした。

なぁ〜んだ、開きたかったんじゃん!あたし!・・・って思いました。

でも、「そのとき」には、「きっかけ」が、必要なんですね。

自分の内側の反映を、まわりの人たちにたくさん投影しまくって、それをみて、自分を知ること・・・・で、しか、できなかったことです。

すべてが完璧なタイミングでした。





参加者は50名ほど。

20代っぽいかたから、70代中盤の方まで、幅広いです。

みなさん、とても向上心のある前向きな素敵なスイスの女性、男性ばかりでした。

その全員のエネルギーが、みえないわたしのサポーターでした。

それぞれが、それぞれに、自分自身とただ、ひたすらに向き合っている時間の中で、

自然と、わたしたちは繋がり、なんの言葉もなく会話も存在しない時間の中で、ただ存在だけで癒しあい、認めあって、それが、それぞれの勇気とつながりました。

人間それぞれが、「わたし」という存在をとことん極めて生きて、しっかりとみつめる勇気を持っていると、その存在だけで、ほかのかたのサポートとなるのだ・・・・、と痛感しました。

わたしが、「あるがままのわたし」でいればいるほど、たくさんのかたが、そのわたしの存在に癒されて、勇気となっていくのだ・・・・と、感じました。

だから、

わたしは、ただひたすらに、「わたしを極めていこう」と、再び、力強い勇気を持ちました。

それは、勇気がとても必要です。

でも、わたしは、その勇気があるのだと、心底、自分を信じています。



最後の最期は、思いっきり、笑いあって、抱き合って、手を握り合って、

そして、

わたしの闇も光も、すべて、すべて、笑い飛ばして、踊りつくして、祝福しました。

ワークショップにでかける前にみた夢も、同じくして、悲しくて不安な状況を、(本気で)笑い飛ばしている夢でした。

そして、ワークショップから帰ってきた夜にみた夢も、同じく、苦しい状況、困難な環境を、(本気で)笑い飛ばしている夢でした。

とても、痛快で、愉快でした。




感動がまだ冷めやらないので、うまく言葉にできませんが、

読んでくださるあなたにも、この経験をシェアしたい。

わたしの存在が・・・、言葉が・・・、愛が・・・、

あなたにとっての「きっかけ」のひとつになりますように・・・・。

合掌
ラクシュミナラヤニ ユキ

ヒーリングセッションのご案内です。
必要な方のお役に立てますように。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418246610.html


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 01:48| ムーブメントメディスン・シャーマニックダンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

2/18メッセージ



根本から、ひっくり返してごらんなさい。

あなたという人間の、基盤となっていること、これこそがわたし!と思っていること、生きていく術だと思っていること・・・・

その、あなたにとっての「根っこ」の部分から、洗いざらい、確認してごらんなさい。

引き抜いてみたらその「根っこ」は、きっと、あなたにとってすでに、腐敗しているもの・・・・かもしれないよ。

でも、土の上から見たら、根っこがもうすでに古くなっていることに気づかない。

しかし、表出している部分が、どんどん、イキイキしなくなってくるから、なんか、おかしい?と思う。

いくら、飾っても、栄養を与えても、喜びを振りかけても、根っこがすでに古くなっているから、輝きが戻らない。

だから

おかしいな、と感じたら、あなたの「根っこ」であるところの「基盤」をきちんと見つめてみてごらん。

色眼鏡ではなくて・・・・、こうだったらいいな、の目ではなくて・・・・、中庸である目線でみつめてごらん。

きっと、古くなって腐敗したまま、ずっと、キープしているあれこれを、みつけることができるよ。

みつけることができたら、それらを引き抜いて、新たに土を耕せばいい。

引き抜いた、古くなった根っこも一緒に、土の養分として使って、新たに耕していけばいい。

すべての出来事や経験は必要があって起こるから、その古くなった根っこも、新たな土壌に活用できる。

耕して、さらに、質の高い花を咲かせたらいい。



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:15| スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スイス1「チューリッヒ」



なんと、スイスのチューリッヒにいます。


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人生はなんて面白い。

わたしは、「これだ!」と感じたら、まっしぐら!・・・・の性質だから、

その、「ピンときた!」のままに、いま、スイスです(笑)

また、数日したらドイツに戻りますが・・・・

お隣の国なのに、土地の波動が全然、違うのよね〜、スイス!

チューリッヒはドイツに近いから、人々もドイツ語を話すのだけれど、

でも、やっぱり、ドイツの「わけのわからない見えない拘束感」とは、違うんだよね〜。

歴史の影響は大きいね。


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ありがたいなぁ、こうして、いろんな土地に行くことができて。

貧乏性なので、バス代もケチって、40分くらいなら、重たいバックパック背負って、ガツガツ歩くけどね(笑)ははは

ヨーロッパ滞在中のわたしの目的の一つである、集中トレーニングの場所に向かう、途中下車です。


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 09:04| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

ドイツ15「HAPIサンセットのつぶやき」



夕陽の時間。

今日は、珍しくとてもスッキリと晴れていたから、

地球に愛を伝えたくなりました。



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HAPIドラムちゃんを連れて、近所の公園へ。

好きなように、好きなだけ、演奏してみる。

同じフレーズを、飽きるまで、繰り返したりして。

うまく演奏しようとしない、聞く人を意識しない、

ただ、自分が気持ちよくなるため、心が落ち着くためだけの演奏。

なんの期待もなく、ただ、気持ちよい音を紡いでいくだけで、自分がとても癒されているのがわかる。



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サンセットに関係ないけど、ぼそぼそと、つぶやきたい気分です。




感謝の気持ち・・・・・って、麻痺しちゃうと思うの。

当たり前になってしまうと、あって当然と思ってしまう。

いつも新鮮な気持ちで、周りの全部を見ることができる、目玉をもっていたいな。




愛や、好きだ・・・・と思う気持ちって、キライを含んでいると思うの。

あんなに好きだったのに、自分の思い通りにいかないと、急にキライになっちゃったり。

熱烈に慕ってくださるかたがたも、なにかの拍子に、ぷいっと、いなくなってしまったり。

人間が感じる、愛とか、好きって、複雑なんだよなぁ。

そこには、「純粋な愛」と違うなにか「期待」が混ざっていると、複雑になっちゃうんだろうなぁ。


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人間って、本当に盲目だね。

エゴに気づかない。

犬とか、猫とか、馬とか、木とか、植物とかを、見習ったらいいのに。

赤ちゃんとか、子供とかの無邪気さから、学ぶべきだよね。

でも、人間って、面白いね。

一人じゃ、深い意味では成長できない。

人と一緒にいると疲れちゃう・・・・・とか世間でよく言ってるけど、

ひとりぼっちじゃ、なにも気づかない。 成長できない。




知らずに支えあって、見えない思いやりを交換しあって、人生の学びをシェアしあって、

人って、そうやって、生きていくものなんだな。

わたし、人が好き。

だから、ヨーガを教えるのも、カウンセリングセッションも、大好き。

人が、好きだから。

どんな人も、すべて、本当に魂は美しいの。

だから、ヒーリングセッションで、お話を聞かせていただくのも、ヒーリングさせていただくのも、大好き。

ヨーガのクラスで、みなさんのお身体からの情報を感じさせていただくのも、大好き。

人間が、好きだから。


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最近、とても、面白い夢ばかり見る。

昨日の夢は、数年前まで、とても熱心にわたしを慕ってくださったお弟子さんの夢だった。

夢の中で彼女は、とてもとても、悲しそうで、とてもとても、寂しそうだった。

わたしの夢の中に出てきて、SOSを伝えているのね。

直接、連絡する勇気が、まだ、ないんだね。 うん、わかったよ。

わたしの祈りが届きますように。

どうぞ、彼女に、祝福が降り注ぎますように。

愛をこめて・・・・・・。



指が進むままに、書きました、つぶやきでした。

ドイツは雪が溶け、少しずつ春めいてきましたよ〜





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:55| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

ドイツ14「お味噌汁の会」



日本人・・・・というだけで、「寿司は作れるか!?」と聞かれます。

あはは・・・作れませんよ(笑)

そして、こう説明します。

「日本でいう『寿司』は握り寿司のことで、それは家庭では到底お料理できないプロフェッショナルなものなので、特別な料理なのです。家庭では『海苔巻き』を作る家庭がたま〜にいると思うけれど、誰もがやっているわけじゃないの。わたしは作ったことないし、わたしの母も一度も作ってくれたことがないよ。 そして、外国人が言う『寿司』は、日本では『海苔巻き』のことだよ。あとは、『手巻きずし』という、ホームパーティ的なものがあるけれど、これなら、簡単にできるよ!」

と、こんなかんじ。

6人集まってのランチ会のとき、「じゃあ寿司じゃなくていいから、前菜として、なんか、日本の料理を作ってきてくれ!」と言われ・・・・・

日本でのわたしの食生活は、サラダとスープとお蕎麦という、いつも同じシンプルメニューで、シンプルに生きているわたし・・・・

そんなこと言われても、困っちゃう〜。

じゃあ、しょうがないから、いつもの・・・・・お味噌汁、作ってみました。



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ヨーロッパ風な感じの盛り付けですね。 日本人的には気持ち悪ーい。

そして、食器に口をつけてはいけないし、食器を手で持ってもいけないので、スプーンですくって食べます。

さらに、気持ち悪ーい! 音も立ててはいけません。

「でも、日本のマナーでは、手に持って食べないとお行儀が悪いのですよ。お箸でズズズっと、音を立てて食べるのですよ。」と教えました。

西洋のマナーとは、反対ですね。




そうしましたら、このお味噌汁が大好評で。

なんと、「お味噌汁作り、教えてほしい」と招待されました!

なんっと! なんとっ!!!

この、同じメニューのみで生きている、お料理に無頓着な私が、人様にお料理を教えるなんて・・・、奇跡っ!

というわけで、びっくりしながら、ちょっと緊張しながらも・・・・・

招待してくださったお宅のキッチンで、先日、お味噌汁の会を開催。

昆布だしをとるところから教えて、野菜は適当に、時間も適当に・・・・な感じです。

だって、そうじゃない?!

ドイツ人は、すごく細かいから(お茶とかハーブティーとかをプレゼントすると「これは、何分待つんだ?」って、必ず聞かれて、そして、きっかりタイマーで計って淹れるんです)

すごく細かく聞かれるんだけど・・・・

だって、適当じゃない?お味噌汁作るの?!

だから、「そんなに聞かないでぇ〜」って感じで、しどろもどろ・・・・ははは。

でも、肝心な「アク」をとることと、私流の波動をあげるやりかたは、ちゃんと教えました。

「ここが、一番重要!それ以外は適当で大丈夫だよ〜」と。




海外滞在が多いですが、とはいえやっぱり、日本人の私は、お味噌汁をいただくとホッとします〜。

ヴィーガンのわたしは、お出汁も昆布がよいので、海外の日本食レストランでは大抵、鰹か煮干しをお出汁に使っているので、自分で作るしかないんですね〜。












posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 02:36| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月08日

映画「誰も知らない」



またまた、ドイツで日本映画を観に行ってきました。

期間限定で7日間だけの日本映画イベントでしたので、続けて行っちゃいました。



「誰も知らない」(英語名 Nobody Knows)
http://www.kore-eda.com/daremoshiranai/index.htm



これも、是枝監督の映画だそうです。

日本語で映画が見れると、楽でよいです。

今回のこの映画は、ノンフィクションのストーリー。

とてもせつないです。 

どうしようもないんです。 

この子供たちは、どうすることもできない。

見ていてとても苦しいけれど、

でも、淡々と困難な状況を、ただ受け止めて、ただ受け入れて、ただ淡々と過ごしていく子供たちをみて、なんだか、とても「悟り」を感じました。

あるドイツ人は「ああ、これはある意味、ラブストーリーだね」と言いました。

確かに。

兄弟姉妹、コンビニの店員さん、中学生のお姉さん、静かに愛が交歓されているのが見えます。



母親役のYOUがベストキャラで、ピッタリのはまり役だったので、余計にだらしない母親への嫌悪と、淡々と苦難を過ごしている長男の冷静さへの同情が、比例して起こります。

誰も気づかない社会の大人たちへの憤りや、母親や父親や、簡単に子供を作ってしまう人々、そして、捨ててしまう人々への怒りなど・・・・

そういったものは、当然のこととして起こるわけですので、それは、説明を省くとして、

それ以上にわたしが大切だと感じたのは・・・・・、

子供は神とつながっているということ・・・・・。



よい映画でした。

合掌







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 02:24| アート鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月06日

ドイツ13「イザール川での祈り」



1月の最後の日。

滞在しているミュンヘンの家の玄関に飾ってあった、新年の飾りを、イザール川でお焚きあげしました。



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日本のお正月飾りは、わたしが日本からお土産用に持参し、10個持参したので、ドイツの知り合いに全部プレゼントしたもの。

日本に住んでいるときは、もう風習になっていたの特に気にしたことはなかったけれど、「これはなんだ?」と全員から聞かれるので、わたしの想像も加えながら説明しました。

「この植物は生なる植物で、お寺などにも飾られていて、このねじってあるのはエネルギーの動きを意味している。これを玄関に飾ることで『迎春』の意味で、春を迎え入れるという意味なのだけれど、この『春』は単に季節の春ではなくて、いろんないみで『光』だったり、『吉兆』だったり、『幸福』の意味があるから、新しい歳が幸せになりますように、という意味」

と、こんな感じで説明しましたが、これはわたしの感覚なので、本当なのかどうかはわかりませんが(笑)


そして、それと一緒に、ドイツのおまじない的な新年の飾りも、お焚きあげしました。

ミンツという植物をドライにしたもので、それを玄関の上から逆さまにつるしてあったものです。

これも、幸福を呼ぶ、という意味があるそう。

このミンツという植物は、いろんな木に「寄生」して生きる植物だそうで、枯れている木にモコモコくっついているのをよく見ます。

くっついている木から栄養をもらって生きているので、もとになっている木は、どんどん、元気がなくなっていってしまうのだそう。

すごい、パワフルですね。 寄生植物・・・・!

こちらでは、このミンツをシャーマニックな儀式では必ず使うのだそう。



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土地とイザール川にご挨拶をして、森羅万象に感謝を伝え、マントラを唱えて、炎で浄化しました。

世界が平和になりますように。

美しい地球がより喜びますように。

そこに住むわたしたちが、より、純粋さとつながっていられますように。

心からお祈りします。




儀式のあと、ふたつの虹雲が対局に現れました。


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陰と陽ですね。

その中間に、大きな太陽がピッカリと、バランスしていました。

素晴らしい・・・・・! すべて、ピタリと調和します。

ベストタイミングで・・・・!

世界は、わたしとともに・・・・・・・。

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:58| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

映画「ワンダフルライフ」



なんと、ドイツにいながらにして日本映画の鑑賞をしてきました。

日本名だと「ワンダフルライフ」

英語の名前だと「AFTER LIFE]になっていました。

なぜでしょうね?

http://eiga.com/movie/33208/





是枝監督の映画を観たのは初めてでした。 

有名な監督なのですね〜。 世俗に関わっていないわたしは、無知です〜。



この映画は、人々が亡くなったあとに、7日間だけ滞在する場所で、自分の人生を振り返って、ひとつだけとても幸せだった場面を映画にして残すことができる・・・・という、物語です。

その、シナリオ設定が面白いですね。

それだけではなく、様々なひとたちの人生を振り返る姿勢が、とても興味深いです。

どんなふうに、人は自分の「生」というものと向き合っているのか・・・がよく描写されています。

その人の「人生の向き合い方」そのものが、すべて現れています。

そして、その映画を見ている、こちらがわのひとたちにも、自分は人生とどう向き合っているのか・・・・・を改めて考えさせられる。

深いですね。 

撮影の仕方が、まるで古いホームビデオ(性能が良くない)で撮影したかのような、親近感があって、まるで、その場所に実際にいるかのような感覚にさせてくれます。

そして、

役者さんたちがとてもナチュラルで、もしかしたら、素人さんなの?という感じなナチュラルさ。

そして、台本を読んでいるのではなくて、自分の人生経験や、そのときのそのままの感情で話している感じで、まるで、演じている感じがしない、リアル感が、より人間っぽさを生々しくさせています。




日本映画は、深いですね。

でも、その「深さ」がわかるのは、繊細な日本人だけなんでしょうね。

映画館にいたドイツの人たちは「え?なんでここで?」っていう場面でケラケラ笑っていて、びっくりでした。

しかも、何度も、ありました。

どういう翻訳しているんだろう?と不思議ですが、日本人にしか感じとることができない「わびさび」は、

西洋の方には、到底、理解不能なのでしょうね〜。

周りの声を聴くと、「沈黙が多くて、大きな動きが少なくて、とても長く感じた。意味がわからなかった」と言っていました。

西洋人には確かにそうかもねぇ。

その「沈黙」の中から、微妙な心の動きや、せつなさを感じとれるのは、やはり、感性が豊かな日本人じゃないと難しいのだろうなぁ。




さて、映画の中で印象に残った問いかけです。

「あなたの持つ記憶の中で、人生の中で最も最初のものは?」

わたしは、2〜3歳のころの記憶です。

わたしは保育園にこのくらいの年から預けられていました。

わたしを置いて、母の車が向こうに小さく遠ざかっていくのを、悲しくて、ワンワン大泣きしながら見ている時の映像をまだ、確かに覚えています。

わたしは、誰かの胸に抱かれていたのでしょうが、ものすごい、暴れたのだと思いますが、掴まれて、自由を奪われて、遠ざかる母の車を追いかけたいのに、まったく許されずに動きをすべて制されて、自由を奪われたそれも悲しくて悲しくて・・・・・

そんな記憶が、わたしの一番小さいときの記憶かな。今世では。

あなたは、どうですか?



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:53| アート鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

ドイツ12「ヴィーガンスイーツ」




ドイツでは、結構のんびりさせてもらっているので、趣味の時間を作ることが出来ます。

そういえば、わたしは昔は、お菓子作りが趣味でした・・・。

ここ数年、日本では、まったくしていなかったから、忘れていたけれど・・・・。

作り始めたら、楽しーいし、もともと、人に何かをあげることが好きなので、

手作りのお菓子は、差し上げると誰からも喜ばれるので、こちらも何倍も楽しく嬉しいです。



ドイツでお友達になったかたがたに、ヴィーガンスイーツを作って差し入れしてみました〜。

大好評〜〜〜。 

日本のスイーツを作って差し入れしてあげると、警戒心が強いドイツ人のハートを、一発で開いちゃいます。

すごいぞ、ジャパニーズパワー!


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でも、きなこ白玉や、ぜんざいのような、繊細な味は、ドイツ人にはわかりにくいようです。



ドイツのケーキなどは、どれもとても甘すぎるし、

動物性のものと、白砂糖が大量なので、わたしの身体が苦情を現すし、

ヴィーガンのスイーツはこちらでも探すのが面倒なうえに、みつけても結構高いので、

ちょこちょこ、作ってマース。












posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:14| 《旅》ヨーロッパ2016.12-2017.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

ぶれない心を持つ



わたしたちの心を揺さぶっているもの・・・・・・

・・・「妄想」や「幻想」・・・

それらは、存在しないものだというのに、とてもパワフルな力で、繊細なわたしたちをブンブン、振り回します。

「いまこの瞬間」の「真実」のみを、信じてみる。

すると、あれこれ、心を苦しませているすべては、妄想であり幻想であることに気づく。

それは、真実ではない。

それは、存在していない。

存在しないものだというのに、わたしたちは、いとも簡単にそれらに気分を左右されてしまい、そして、人生にまでおおきな影響を与えられてしまう。

なにが妄想・幻想であるのかを、知ること。

そして、「いま ここ」の真実を疑わずに信じること。

それが、結果的にあなたのハートを緩やかにしていくことにつながる。




例えば・・・・・、

誰かに抱いている、ほのかな嫉妬や、妬み。

それは、恐らく、妄想のなかで作り上げたその人物に対して、抱いている勝手な感情であることが多い。

その対象である誰かの、本当の意味での人生や意図は知らないだろう。

大抵は、自分と比べて相手のほうが恵まれていると感じることで、妬みや嫉妬が生まれてくる。

でも、相手ときちんと話をしたことはないから、どれだけその人が苦労して努力しているかや、実情の生活・人生・大変なこと、または、人間関係などの本当の状態を知らない。

でも、自分より恵まれている・・・と思って、羨ましく見ている。

それは、自分自身を、その人よりも恵まれていない・・・・と、レベル付けしていることと同じ。

その人の真実はまったく知らないけれど、自分自身を都合よく「かわいそう」な立場にするために、沸き起こってくるありもしない妄想を信じてしまう。

ゆえに、自分の心はどんどん、ネガティブになっていく。

重要なのは、それが「妄想」だということに気づくこと。





例えば・・・・・

人間関係の中で、なんだか、居心地が悪く感じる。

みんな、自分のことをどう思っているのか・・・、もしかしたら、私はここには参加しないほうが良いのではないか・・・・

みんな、楽しそうにしているけれど、本当は、わたしのこと良く思っていないのではないか・・・・みんなを疲れさせてしまっているのではないか・・・・

あんなこと言ってしまって、空気を乱したかなあ・・・・、もっとこうしたほうがよかったかなぁ・・・・

そして、あなたはどんどん悩んで、悶々としてしまう。

それはすべて、あなたが自分の心の中で作り上げたものであって、真実の事柄ではない。

ここでの真実に目を向けるとするならば、

みんなで過ごした時間の中で、分かち合った思いや、味わったお食事や飲み物の感覚、話した内容から受け取ったそれぞれの感情、それを、共有した時間の密度・・・・

そこから感じたあなたの感情。

ほっとした・・・とか、緊張した・・・とか、楽しかった・・・とか、ためになった・・・とか、いろいろ気づきがあった・・・とか、居心地が悪かった・・・とか、

それだけが、真実。

それが、良い感覚であれ、良くない感覚であれ、

その真実だけを、味わうこと。

そこから、自然発生的に「妄想」が沸き起こってくるから、それはもう止めようと思っても、止められないものなので、それが、「現実には存在しないものである」と「知っていること」が大事。

知りながらにして、ただ見つめ流していくこと・・・・、やり過ごしていくこと。

すると、「ああ、幻想だった。」と気づくことができるので、「現実にちゃんと存在する」という「真実」に意識が戻ってくる。

まずは、気づくことが最初の一歩。





などなど、などなど・・・・・

個人個人、持っているものが違うから、すべてを例としてあげることはできないけれど・・・・・

それぞれが、それぞれ、あるはず。





でも、すべては意識できる範囲の下で起こっていることなので、よっぽど内観に熟達していないと(熟達していたとしても)、難しいもので、知らずにその「マインドの罠」にはまってしまって、それにはまってしまっていることにも気づかない。

気づくためには、ときには誰かの助けも必要になってくる。

すべての人間関係を通して、自分自身のその「ネガティブな妄想」や「心の癖」が、必ず現れてくる。

それを、見つめることで、自分への理解が深まっていき、そして、理解してあげることでその「心の癖」は自然と変容していく。

でも、際限なく続くので、その作業を神聖なものとして、一生の学びとして楽しんでいくことを心がける。

いつもの癖で「ああ、わたしはだめだ」とジャッジするのはとても簡単。

すると、また、どんどん新しいネガティブな「心の癖」をつけていってしまう。

でも、ジャッジ無しの目線で「理解すること」によって、あなたは変容していく。

すると、妄想や幻想に、心が惑わされなくなる。

真実ではない、実際には存在しないもの(マーヤ)には、心を揺さぶられないぞ!、という意志を持つことができる。

すると、ぶれない自分が見えてくる。

周りの人間関係の中から、自分という人間への理解が深まる。

これが、一人ぼっちで、無人島に住んでいたならば、まったく成長は期待できない。

生きているこの世界に存在する、周りのすべての人々は、知らず知らずに、助け合って支えあって、魂の成長を刺激しあっている。




まずは、気づきを受け取ること。

受け取る準備を整えること。

自分を理解するためには、視点を変えていくこと。

その智慧を持つこと。

起こっている心の中の問題や、状況の居心地の悪さ・または良さから、自分を知っていくこと。

「真実」のみを信じる勇気を持つこと。





ありのままで、あるがままで、自由に、本来のわたしの魅力を活用して生きる = ぶれない心を持つ

ために、わたしが、人生をかけて、とことん、学んでいることです。

とても、意義あり、意味のあることだと感じています。

あなたのお役に立てますように。



セッションのご案内。
自信をもって、大きな愛を持って、わたしの経験をシェアさせていただきます。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/418246610.html


合掌
ラクシュミナラヤニ ユキ















posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:57| スピリチュアルメッセージのシェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする