(つぶやき)
わたしは、「創造性」で生きているのが濃いと思うのです。
だから、分析したり、思考で生きるのが、ちょっと苦手です。
「なにかお言葉を書いてください」と、ノートを手渡されると、
どんな言葉も嘘くさく感じて、なにも単語が出てこない代わりに、
そのノートにクレヨンで、そのかたの魂に繋げて、唯一無二の創造的な絵を描いてプレゼントすることがあります。
わたしから出てくるものは、言葉という三次元的なものでは表せないことがほとんど。
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絵を描くのは好き。
暗号みたいな 詩を書くのも好き。
踊って体で表現するのも好き。
歌って声で表すのも好き。
でも、「なにを感じているのか、わかるようにきちんと説明して」と言われると、うまくできなくて、泣きたくなる。
原始的・・・・?
うん、感性、フル活用で生きているのかな。
だから、「言語」が出てこない・・・。
言語で考えようとすると、「感性」が薄れてしまう・・・。
バランスよく、使えるといいなぁ。
「こいつ馬鹿か」と思われることもあると思う(笑)。
でも、言語はただの言葉であって、それは知性とは違うと思うの。
わたしは、おしゃべりが苦手。
だから、独りでいると、とても楽です。
独りでいるのは、自分自身と共にいる時間。
本当の意味では、独りではない。
常に自分自身の中の神聖と寄り添えて、宇宙観の中にいることができる、満たされた時。
「わたし」の一番の理解者である、「ワタシ」と共に過ごす時間が、一番、居心地が良い。
「ワタシ」は「わたし」を心から愛している。
わたしが感じる「いろいろ」は、言葉にはならない、言葉では伝えることではないの。
だから、
わたしが話したいこと、伝えたいことを、なんとか「言語」という形にして、誰かに投げかけても、
なかなか理解しがたいみたいで、誤解を生んでしまうことも多く、
だったら、「なにも言わない」ということを、いつも選択してしまいます。
でもね、これじゃあ、ますます、自分の世界に入りこんでしまって、
「たくさんのかたに伝えたい!」というわたしの願いが叶わない・・・・
「伝えたい」と思うことというのは、イコールして「なにを伝えたいのか」を「自分に問う」ことだと思うのです。
ということは、
「自分の外に伝えることを避けている」、というのは、イコールして、「自分とはなにか」、を「見つめることを避けている」ということだと思うのです。
わたしがなにができて、どんなことで世間に貢献できるのか、わたしのどんな叡智を周りに伝えて行けれるのか・・・・・
それは、わたしにしか、わからないことだし、
わたしだけが、それを広げていくことができるのだから、
しっかり、わたしが、私自身の望みを叶えてあげるべきだと思うのです。
ちょっと難しくて、面倒くさくて、すぐ嫌になっちゃうけれど、
でも、そこは、わたしの「やりたいこと」をさらに豊かにしてくれるだろうことは確実だから、
すごく、大変だけど、やってみようかな。
今日・・・・・、
改めて・・・・・わたしって、自分の感性を言葉で伝えるのが、ほんっと、下手!!・・・・と、
自分に激しくがっかりして、しょぼーん、となった出来事があり・・・・・
落ち込んでも仕方ないし、自分を諦めてしまっては、前に進んでいくことはできないから、
逃げ出してしまうのは簡単だけど、でも・・・
わたしは真になにがしたいのか・・・・を、自分ときちんと向き合ってみたところ・・・・
やはり、そこを超えた先に、わたしの枠が広がって、わたしの魂の喜びがあると感じました。
だとしたら、その「苦手なことに対する努力」は必要なこと、と受け止めました。
わたしのもともと持つ利点で・・・・まだまだ、活用できるものをプラスして、ミックスして、それらを生かして、
偏りすぎずに、もっともっと、いろいろな方面から
自分が伝えたい叡智を、いろいろなタイプの思考の方にもわかるように表現して、
メッセージを広めていこう・・・・・と、
やる気になってきました。(ちょっとずつ)
そしたら、
わたしの人生の時間を構成している粒子が、キラキラ、している、いまです。
そんな感じの、つぶやき、でした。
こうやって飾らない言葉で書くって、ちょっと恥ずかしいな。。。
ワンネス♡♡ キラキラをあなたにも。