少し前ですが、
山梨県のとある山奥で開催されました、音楽と舞のイベントに行ってみました。
当日、突然の思いつきでしたので、どんなものなのかはさっぱりわからず、直感のままに行ってみました。
ここで感じましたことは、本当に素晴らしかったです。
表現方法って、いろいろありますよね・・・・
絵を描く、詩を書く、ものづくり、作品を作る、歌とか、舞とか、祈りとか、楽器を弾く、話し方、立ちふるまい方、ファッション、髪型、生き様、などなど・・・・
創造性から湧きあがってくるものが、ほとんどだと思います。
そして、たいてい、それを表現していてとても楽しいしワクワクしている。
それには、上手いとか、下手とかいう、人間が勝手に判断するジャッジメントは必要ありません。
いかに、そこに「自分の生き様」を込めているかによって、例え、上手ではなかったとしても、人は魅了されます。
とくに、光ではなく、闇の部分を、思う存分表現すると、人はぐんぐん、引き寄せられます。
そこには、完全なまでの、魂を揺さぶられる感動があります。
わたしは、光のお仕事をするために生きています。
光は、光だけでは存在できず、闇を持つことによって、光がさらに大きくなります。
光が多きければ大きいほど、闇も深く、濃いということ。
その闇さえも、闇の姿のまま極めて行くことによって、光と同じように尊いものに、なるということ。
わたしは、光のお仕事をし続けていくために、尊い闇をも愛し、表現していきたいと思います。
うまく、言葉で伝えることが難しいですが、人間は、光も闇も持つことで完璧なのだ、と強く感じています。
わたしたち日本人は、「間違えてはいけない」と「人に迷惑をかけてはいけない」という気持ちが大きすぎがゆえに、表現することが難しくなってしまっているのだと感じます。
でも、そういった性質だからこそ、誠実であり、世界で一番の国民である(と私は誇りに思っています)わけなのですが、その利点が裏目に出ると、「恐れ」となって何もできなくなってしまうのではないかと思います。
わたしも日本人なので、身を持って、そう感じています。
「自分を表現すること」は、間違いを恐れたり、人からどう見られるかを気にしたり、そういったことを超えていると思うのです。
「いまを生きる」
というのは、いまの自分をめいっぱい表現していいる、ということに等しいと思うのです。
わたしは、ご縁があって、いまのこの人生と、この身体と、この環境と、この人間関係に生れてきました。
人生の幕を下ろす時期がくるまで、わたしにしかできない、唯一無二の人生を、思う存分表現して行きたいと、心から思います。
昨年の秋から、体調があまり良くなくて、ずっと、無理してきましたが、
今月8月から、エネルギー調整と自己鍛錬のため、ヨーガのお仕事をお休みさせていただいております。
生徒さんの皆さまには、本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちでいっぱいですし、
そして、それでも、わたしを許して下さる生徒さんたちを、本当に、本当に、尊敬しています。
人は、支えて、支えられて、生きているのだと、しみじみと感じます。
わたしにできる、世界への貢献は、「わたしがわたしを精一杯表現して生きること」だと思います。
魂の歓びとともに、この人生を生きている、この生命を、めいっぱい、「わたし」で表現していきたいです。
そうすることで、支えてくださるたくさんのかたがたの、わたしなりの愛のお返しになるのだと、信じています。
そんな理由から、今月と多分、来月もヨーガはお休みさせていただいています。
おかげさまで体調不良も、少しずつ良くなってきていますし、私の中の「無」の部分からの叡智がどんどん、溢れてきています。
ヨーガ教室はお休みとさせていただいておりますが、
9月の19〜21の合宿は、わたし主催で開催させていただきますので、よかったら、皆様ご参加くださいませ。
http://yukismyogaism.seesaa.net/article/422334652.htmlこの合宿は、わたしの魂の歓びの表現のひとつでもあります。