2015年04月29日

今日のお言葉(旅路)


知らない土地で漫然と行程を消化することだけが旅行だと考える人がいる。

買い物だけをして帰ってくるのが旅行だと思っている人もいる。

旅行先での出会いや体験を楽しみにする旅行者もいる。

そして、

旅行先での観察や体験をそのままにせず、

これからの自分の仕事や生活の中に生かして豊かになっていく人もいる。

人生という旅路においてもそれは同じだ。

その都度その都度の体験や見聞をその時限りの記念品にしてしまえば、

実人生は決まり切った事柄の繰り返しになってしまう。

そうではなく、何事も明日からの毎日に活用し、

自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、

この人生を最高に旅することになるのだ。


ニーチェ


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2015年04月28日

私が流産した時に学んだこと


「わたしが流産した時に学んだこと」


個人的なことをお話しします。



以前、妊娠をしたことがあります。

検査をしたわけではありませんが、霊的に発達している部分の私は、それが、すぐにわかりました。

赤ちゃんの魂が天からわたしのお腹の中に滑り落ちてきて、3日目くらいから確信していました。

わたしの心と体は大きく変化しました。

新しい人生に、胸はときめき、新しい生命に、それはそれは愛が溢れまくりました。

なんて、なんて、素敵な日々なんだろう。 妊娠って。

初めて恋をしたときのように、生活のすべてがバラ色になりました。

何を見ても、なにを感じても、すべてが自分と子供ためのものになりました。

なんて、愛に溢れていたんだろう。

自分のうちから溢れる愛と、それに応えようとする小さな命からの愛。

子供を持つって、なんて素晴らしいんだろう、と実感しました。

女だけに与えられた、至福の愛の交歓のとき。

本当に幸せでした。

女に生まれて、よかった、と心から感じたのは、生まれて初めてでした。




わたしは、自分のことよりも人のこと・・・・と、人に尽くしてしまいすぎる傾向がありますので、必要最低限な食糧以外、日ごろ、なにかを自分の為に買う事があまりありません。

妊娠期間というのは、本当に不思議で、ものすごく、自分を大事にするのですね。

この期間は、自分の為に買い物のすべてを選んでいる事に気づきました。

お腹の中の赤ちゃんを大事にすること・・・・は、自分を大事にすること、に繋がります。



例えば、ハーブティーのお店に行っても、「自分のため」にお茶をハーブティーを選ぶことは、今まで、まずなかったのですね。

いつも、誰かにさしあげるために買います。

または、セッションに来て下さった方にお茶をお出しするために選びます。

自分は、二の次なのです。わたし。

でも、妊娠していると、思考が変わるのですね。

まず、自分の赤ちゃんの為、その赤ちゃんが入っている自分の身体の為、のことを一番に考えるのですね。

そして、「あ!自分の為だけにハーブティーを選んでる、わたし!」と気づいた時の驚き!!

これまで、自分のことを愛してあげていなかったことに気がついたのでした。




これが、とても驚いたことでした。

「自分を大事にする」ということ。

わたしは本当に苦手なことでした。

自分より、人の為に、生きてしまうのですね。

すると、自分を大事にすることを忘れてしまうのです。

でも、お腹に赤ちゃんがいると、ものすごく自分を大事にするのですね。

赤ちゃんが大事だからこそ、その赤ちゃんが入っている、自分の体を大事にする。



本当に、この自分に対する接し方の大きな変化には、驚きました。

そして、今まで、自分を大事にする、ということをきちんとしていなかったのか、がわかりました。




そのとき、わたし主催の海外でのリトリートツアーを行ったときでした。

わたしは、妊娠の超!初期の状態でツアーの引率が始まりました。

なんといっても、妊娠2週間くらいでしたから。

普通の人は、気づいていないときです。

その貴重な期間に海外の聖地に行けれることがとても幸せで、「やった、お腹の中の子供も、一緒に聖地に行けれるなんて!」と、とっても喜びました。

現地に到着して、3日目くらいに、わたしは流産してしまいました。

もちろん、検査をしていなかったですから、病院にも行きませんでしたが、わたしには流産したことがわかりました。

普段から生理痛はほとんどないわたしなので、激しい痛みですぐにわかりましたし、多量な出血が続いていました。

なによりも、「いなくなっちゃった」という実感が、真実でした。

病院も検査も何もいらないのです。 できたときも、いなくなったときも、自分で、全部、わかりました。

わたしは、とても悲しかったです。

自分が主催したリトリートツアーの最中に、私自身が、悲しみのどん底に落ちてしまいました。

お役目も遂行しなければいけない、でも、人間としてのわたしは、女として一番悲しい局面で悲鳴をあげている・・・・・・つらかったです。



たくさんの後悔をして、自分を責めて責めて、責めまくって、夜、独りになって泣くだけ泣きました。

「もっと大事にできたはず。なぜ、もっとこうしていなかったのか。なぜ、もっとああしなかったのか。わたしは馬鹿だ。」

自分を責めることに足りなくなったら、今度は、当時のパートナーを責めました。

「あなたが、赤ちゃんができたって信じてくれないから、赤ちゃんは出て行ってしまったんだ!」って。勝手な妻ですね。

もう、どうしようもなくて、どうしようもなくて、夜も眠れず泣いていました。

そこに、ありがたいことに、神的な存在からの助けが入り、気がついたのです。



あの赤ちゃんは、まだ、そこにいるから大丈夫なんだ。

ずっと前からタイミングを見計らっていて、そして、いなくなったあとも、次にやってくるのを待って、そこにいるんだ。

その頃のわたしが、あまりに、疲れて、自分よりも人のためのことを考えすぎていたから、

気づかせるために、ちょこっと、やってきてくれただけなんだ。

そして、ちょこっと私の中に入ってくれて、自分を愛するって、素晴らしいんだ、っていうことを、教えてくれたんだ。

そして、これ以上長くいると、お腹が痛すぎちゃうよ、っていうギリギリまで、私の中にいてくれたんだ。

そして、痛すぎないうちに出て行ってくれたんだ。

その時は、赤ちゃんの魂がお腹に宿って、まだ2週間くらいでしたから。

赤ちゃんは、わたしに、教えに来てくれたんだ。

愛というものについて、愛するという事についてを、教えにやってきてくれたんだ。

幸せ〜〜〜〜〜!!って、無条件に感じる瞬間を、教えに来てくれたんだ。

そう、気づいたのですね。




実際、赤ちゃんがお腹にいた、2週間、本当に、幸せでした。

あの幸せ感は、これまで経験したことがなかった。

サマディの恍惚感や、ワンネスのときのすべてがお花みたいに見える感覚や、高次の中にいるときの宇宙の感覚とは、また、全然違う種類の、幸福感。

赤ちゃんは、わたしに、それを教えに来てくれたんだな、と思いました。

わたしが、頑張り過ぎていて、自分を労らないから、教えに来てくれたんだ、と思いました。




まだ、肉体が形成されない、魂だけの状態の2週間、ギリギリ、いてくれたんだ。

赤ちゃんの身体が出来ちゃってからいなくなると、わたしがもっと悲しむし、もっともっと痛いから、

そうなるまえに、悲しみが少ないうちに、身体が痛くなる前に、教えることだけ教えてくれて、そして、出て行ってくれたんだな。

赤ちゃんはそのつもりで、やってきてくれて、そして出て行ってくれたんだ。

わたしは確信を持ってそうだと感じ、それが腑に落ち、そして、ずっとそこについてくれている赤ちゃんの魂も、そうだと言っていました。



閃光がスパークするかのように、それがわかって、

今度は、感謝の意味で、泣きました。

ありがとう、ありがとう。

あなたが、すぐそこにいるのは、わかっているよ。

ずっと前から、待っていてくれているのも、わかっている。

わたしの最善の時を、待っているんだね。



私たちが生まれるのは、他人を幸せにするため。

子供が生まれて、まず最初のお仕事は、母親を幸せにすること。

わたしとご縁のあった赤ちゃんの魂は、わたしを幸せにするために、わたしに幸せを教えてくれるために、ちょこっとやってきてくれたんだ。

なんて優しい子なんだろう。

わたしは自分を責めて、悲しんでいるだけだったら、せっかく赤ちゃんが教えに来てくれたのに、無駄になっちゃうよ。

幸せを願って来てくれたのに、わたしが学びを受け取らずに、ネガティブに浸っていたら、赤ちゃんは嬉しくないだろうな。

教えてくれてありがとう。

ごめんね、わたしはどんどん、年ばかり取って、もう、こんな年になってしまって、子宮も老化しているよ。

いつか、今世で、本当に、赤ちゃんが生めるチャンスがあるといいな。

教えてくれて、ありがとう。

わたしは、愛されているし、だからこそ、私は、愛することができる。

自分を大切にすることは、世界が柔らかい羽毛布団のようになり、すべてが暖色の温かな調べになるということ。

その中に身をゆだねていると、努力しなくても、自然と、人にやさしく、人を愛することができるという事。

肉体を労るという事は、わたしのこれまでのすべての経験、過去世での経験もすべて、まるごと受け入れるのだという事。

そして、「孤独感」は真実ではないのだということ。



わたしは、その時、海外のある聖地にいました。

その聖地では、必要なことしか起こりません。

ということは、これはわたしにとって必要だった出来事ということ。

悲しみも、痛みも、必要で、そこから真実に気づくためのこと。

だとしたら。

だとしたら、わたしは、赤ちゃんが現れてくれて、そして、姿を消した、この経験を、無駄にはしたくない。

絶対に、絶対に、無駄にはしたくない。

ただ、泣いて、ただ、悲しんで、ただ、後悔して、自分をあーだこーだ、責めて、他人や環境もあーだーこーだ責めて、ずっと引きずって、引きずっている間、ずっと前に進めなくて、

そういう、無駄な経験には、絶対に、絶対に、したくない!!

絶対に、しない!!! 絶対に!!

私に幸せ感を教えてくれるためにちょこっとやってきてくれた赤ちゃんのためにも!!

そう、決意した明け方。

すべてのピースがカチッとはまり、わたしは復活とともに大きく成長しました。




人生は、素晴らしいです。

すべては必然であり、すべては学びである。

この出来事は、昔の出来事ですが、いま、シェアしたくなったので、書きました。

きっと、この記事が必要な方がいらっしゃるのでしょうね。

すべては必然ですから。

世界は繋がっていますから。

毎日、毎日、こういった気づきと、解放と、進化の連続です。

関わるすべて、起こる出来事すべてに、ありがとう。

自分のことを赤裸々に語ることに慣れていないので、この記事をアップするのに勇気がいる、というのが本音です。

一気に書いたので、乱筆乱文ですが、このまま直さずアップしますね。

読んでくださりありがとう。

合掌


シャスタ52

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:34| Comment(6) | TrackBack(0) | わたしについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日のお言葉(自分を知る)


自分についてごまかしたり、

自分に嘘をついたりしてやりすごすべきではない。

なぜならば、

自分をよく知っていないと、

愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。

愛するために、愛されるために、

まずは自分を知ることから始めるのだ。

自分さえも知らずして、

相手を知ることなどできないのだから。


ニーチェ


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ハートに共鳴する「お言葉集」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

帰国しています



ご心配をおかけしました。

わたしは生きて、帰国しております。

いろいろありました。

数日前に帰国していましたが、高次元レベルでの大きな変容と、覚醒のためと、

地球の大きな変化(チリの噴火、ネパールの地震など)と同調し、

身体的にも、エネルギー的にも、調整が必要な状態で(廃人のようになっていました・・・)、

やっと、今日の午後から正気に戻りました。

大きな愛でサポートして下さった夫、親友、友人ヒーラーさん、シャーマンさんたちに、心から感謝いたします。

さらに、脱皮し、パワーアップ、バージョンアップ、しました。 わたし。

御報告まで。

合掌






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

詩「サクラ舞う森」


詩 『サクラ舞う森』


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森の中

もう 歩けなかった

体力は問題ない でも 歩く気持ちが 枯れていた



大きな岩にようやく座り 

バッグから抜き出した インディアンフルートを吹いた

弱く そして 強く 

木楽器から奏でられる 大地の音色が 

波のように 空気を震わせる




鳥たちが せわしくなり

森が ざわざわと 揺らいだ

天が ゆっくりと開き 

ニッコリ微笑んで「おかえり」と言った




森の向こうから 風が ぞろぞろ 増えてきた

私の耳元で 風の歌が聞こえる

木製のフルートの音ともに 

風が 囁くように歌っている

地球よ どうか

わたしの耳を 浄めておくれ

わたしが聞き入れる 何もかもが 清らかに聞こえる

知性となるように




一陣の風が 一気に駆け抜け

今年最後の桜吹雪ショーを 見せてくれる

薄桃色の花びらが 撒き散らかされ

まるで川の流れのように 流れゆき

五線紙の上を舞う メロディーのように

くるくると わたしを包む

地球よ どうか

わたしの身体を 浄めておくれ

わたしの受け入れる 何もかもが 清らかに感じる

感性が持てるように




驚いた蝶が まっすぐに わたしに向かって飛んでくる

ブンブンと 虫たちが わたしを取り囲むように飛ぶ

桜吹雪を舞わせる その風が 

わたしの開いた両目を刺激して 

いつの間にやら 涙が招待されている

あとから あとから 溢れてくる

地球よ どうか

わたしの瞳を 浄めておくれ

わたしの見つめる すべてが 清らかに見える

創造性が持てるように



あたたかい滴が ほほを 滑り落ち

その溝を 風が撫でる

目から溢れると 同じだけ

内から溢れると 同じだけ

わたしという 人間が 故郷に沁みわたっていく

ああ 母なる地球よ

どうか わたしを 抱きしめておくれ

あなたの愛で わたしは勇気が持てるから


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月25日

新マニフェステーションヒーリング




『新マニフェステーションヒーリング(顕現化)』



(概要)
心と体の不調と違和感の軽減。
ハイヤーセルフと繋がることで、思ったことの現実化が早くなる。
セルフヒーリング能力が覚醒することで、自然治癒力(心身ともに)が増す。
デトックス効果。



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魂の成長のプロセスが進み、学びが増えていくにつれて、三次元的な心の葛藤や、肉体の抵抗から、お体の調子が悪くなったり、心身の痛みに繋がったり、することがあります。

それは、実は、成長進化のプロセスではあるのですが、ご自分自身の頑ななエゴやブロックに邪魔をされて、なかなか先に進めないという状況でもあります。

その心と体の抵抗を、癒して、上手に手放すことで、結果的に身体の状態が改善され、必要なものを引き寄せ、心の描くことの現実化が早くなっていくことが期待できます。

この新マニフェステーションヒーリングは、さらに、真実のあなたへと向かっていくお手伝いです。

宇宙とともに呼吸をするチャンネルを刺激するため、これまでよりも生気と邪気の出入りがスムーズになります。(プラーナ)

すると、目に見えない部分のエネルギー体(ライトボディ)のあなたが整っていくことで、結果的に三次元である肉体の骨格筋、内臓などのおからだの調子が整う方向に促され、

また、背骨が整うことで気の通り道(スシュムナー)が整い、直観力が冴え、サイキック能力が促されることもあります。

あなたのライトボディは、大きなあなただけの特別な円形(曼荼羅)の中で、5次元であるライトボディとしっかりとつながっていきます。

そして、精神と肉体の両方に宇宙とのつながりが持てるため、ご自身の本質の部分との接点を持ち、結果的に心の不調を緩和し、グラウンディングしていきます。

本来のご自分の正しい状態に戻すことにより、自分自身のセルフヒーリングの能力が育てられます。

さらには、魂が真に願うことへの現実化のスピードが促進され、必要なところへ導かれていく、必要なものを引き寄せていく現象が加速します。



※効果には大きく個人差が現れますが、ゆっくりでも確実に効果があります。


お体や、心に不調を感じらていらっしゃる方。

ぜひ、一度お試しになってみてください。

とっても、お勧めです。




<ワークの流れ>
完全遠隔にて行います。
メールにてお申込み → お支払い(銀行振り込み、paypalクレジット払い、直接手渡し) → お支払完了メール → ワーク実施


●料金: @ ヒーリングカウンセリング20分(お電話・スカイプ)+新サイキックプロテクションがついて       6000円

     A新サイキックプロテクション伝授講習を受講された方には完全遠隔にて 3000円

    ※そのかたの最善のワークをご提供させていただくため、ボディートリートメント、除霊ワーク、創造療法などとセットでご提案させていただくこともあるかもしれません。その場合の料金はお問い合わせください。


●お申込み : HPの「ヒーリング・高次元ワーク」のページよりお申し込みください。
       (生年月日、市町村までのご住所、お名前をお知らせください)
        HP:  http://yukismyogaism.jimdo.com/



このワークは、Leaves Institute で開発されましたものです。
http://jp.leavesinstitute.com/







2015年04月23日

ミャンマー25「可憐な少女」



子供たちの夏合宿でのクラス以外でも、日本語を教えています。

わたしの滞在していた寮の周りをお散歩していたら、たまたま、川に出ました。

その川の真ん中に、お寺がありました。

町のあちこちにお寺があるので、おもしろいです。


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このお寺は、川の真ん中に建てられ、橋で陸とつながれていました。


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とても小さいのだけれど、地域の人々に愛されている雰囲気のお寺。

わたしも、ひとめで好きになりました。


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お寺にはこんなふうに、ダルマさんみたいなお人形が置いてあるところが多くて、

これは、守り神なのだそう。

コミカルでおもしろいです。 かわいい。


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目を閉じて、心をこめてお祈りをしました。

ミャンマーの人々の幸福、この地域の人々の安全、

この地にご縁をつないでくださった感謝、わたしがきちんと魂の学びを進められるように祈願、

日本の皆様の無事、わたしの家族の平安、

そして、感謝、感謝、感謝・・・・・。


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そのわたしに、ひとりの少女が近づいてきました。

はにかんで、もじもじしながら、そこにいます。

わたしが帰ろうと立ち上がると、ちょこちょこ、ついてくるのです。



「Hello」と声をかけると、嬉しそうにニコニコ笑いました。

手に、ノートや本をたくさん持っているので、なんだろう?と思ったら、

そのノートをわたしに開いて見せてくれました。

そこには、日本語を勉強したあとがたくさん書かれてありました。



ああ〜、なるほど、彼女は日本語を勉強しているからわたしに近づいてきたのね〜。

「日本語を勉強したいですか?」と聞くと、

「YES」と彼女。

「では、ここにこれから毎日お参りに来るので、その時に教えてあげますよ」

と言ったら、可憐なお花が開くように、パァーッと、純粋な笑顔で笑ってくれました。



本当に純粋なこの彼女は、ヤモンさんという17歳の少女で、ユニバーシティで日本語を勉強している、と言っていました。

ミャンマーでは、17歳でユニバーシティーなのですね。 驚きました。

わたしは、毎日、毎日、毎日、毎日、このお寺に夕方、お参りに行きますから、彼女にも毎日、ボランティアで日本語を教えます。

彼女は秀才で、昨日教えたことを、次の日には完璧にマスターしてしまいます。

とても、優秀です。



お兄さんも大学生で、とても、清潔感のある誠実そうなかたです。

彼女は、英語があまりしゃべれないので、たまに、お兄さんが助けに来てくれて、わたしたちは意志疎通をしています。


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彼女はとても奥ゆかしくて、とても丁寧で、彼女からもたくさんのことを学ばせていただきました。

わたしのことを、とても尊重してくださり、

そんなにかしこまらなくって、いいのに〜〜、というほど、わたしを立ててくれます。

ミャンマーの文化なのでしょう。

美しいなぁ、と感じました。



ミャンマーのニューイヤーの時に、彼女が出してくれたお菓子。

「モウロウジーボ」

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ミャンマーの伝統的なお菓子だそうです。

わざわざ、私に作って出してくれました。「ワタシガ、ツクリマシタ」と言っていました。


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この日に着ている服も、彼女が自分で作ったといっていました。



「ミャンマーノ、ゴハンワ スキデスカ?」とか、

「ゴハンワ タベマシタカ?」とか、

会うたびに毎回聞いてくれるので、多分、わたしを夕飯に招待したかったんだと思うのです、彼女。

でも、シャイすぎて、きちんと誘うことができなかったんでしょうね。

わたしも、それをわかっていましたけれど、あえて、それ以上、言わなかった。

彼女もわたしも、お互い、シャイなのです。




わたしたちは、この神聖な場所で、毎日、お互いが学んでいます。

彼女はわたしから日本語と日本文化を。

わたしは彼女から、純粋さと、ひたむきさを。

実際、彼女は本当に純粋で、彼女と一緒にいるだけで、わたしは浄化されていくような気分でした。

どうか、最近の若者たちのように、ならず、染まらず、

彼女の純粋なままでいてほしい、と心から願いました。

純粋が故に不安定になってしまうことも、どうか受け入れて、

彼女のまわりのかたがたが、それを認めてあげて、彼女らしく、可憐な花のままでいてほしい。



「センセイ、ワタシニ、ジャパニーズネーム、ヲクダサイ」

と彼女は言いました。

わたしは、恥ずかしいような、嬉しいような気持ちで、微笑んで

「OK。これは、しゅくだい」と言って、自分を指さしました。

彼女は、嬉しそうにニコッと笑って、「ハイ、ヨロシクオネガイシマス」と言いました。

本当に、なんて、嬉しそうに微笑むのだろう。

天使のようです。




わたしが、彼女にさし上げたジャパニーズネームは

「 澄花 SUMIKA 」

意味は、「純粋で澄んだ花」だと、教えました。

「あなたにぴったりだよ」と。

恥ずかしそうに、はにかんで、もじもじしながら、喜んでくれました。


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わたしは、彼女と会えたことで、本当に、たくさんの学びをいただきました。

清らかな、彼女のハートに、わたしは助けられました。

本当に、どうもありがとう。

かわいい、わたしの娘。

出会えた奇跡に感謝します。 

引き寄せてくださったミャンマーの神仏に感謝します。

素晴らしい時間をありがとう。






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2015年04月22日

ミャンマー24「折り紙レクチャー」



ミャンマーでは、ヨーガ、日本語、ダンス、そして、折り紙をみんなに教えました。


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子供たちは、折り紙がだ〜〜〜〜〜〜〜〜いすき!!

早くやりたくて、仕方がないみたい!

クラスとして教えているのは、30名ほどの9〜11歳の子供たち。

しかーーーし!!

もう、子供たちめっちゃくちゃで、大変なのです。

興奮しまくり! 

みんな、協調性がなさすぎるぅ〜〜〜〜。


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みんなで一斉に作っているから、ひと段階が終わったら、かなり待って、できない子を手伝ってあげたりしているのに、

できちゃった子は「ネクスト!ネクスト!」と、大声で叫んで、わたしが「ちょっと待って!」と言っても聞かない。



無視すると、わたしの耳元で叫び、返事をするまで叫び続ける。

うるさーい! 待てっつったら、待て!



そして、途中までできていたのに、なぜか、折ったのを全部開いちゃったやつを、ペラペラ〜、とわたしのところに持ってきて、「どうしたらいいの〜?」と聞いてくる。

おいおい、なんで、自ら振り出しに戻すんだっつーの!



遠い席に座っている子が、「みえなーい!」と叫ぶ。

いや、だから、こっちこいっていったじゃんっ!



「ティーチャー!ティーチャー!!!!」と叫び続けているから、なにかと思ったら、「トイレに行っていい?」

いいよいいよ、勝手に行きなさい。



「できない〜」と半べその子。

もう〜、見たままやればいいじゃないかぁ〜。なんで、ここを折り曲げているの!



「ティーチャー!!ティーチャーー!!」と叫んでいる子、何かと思ったら「水を飲みに行ってもいい?」

ああ、行けばいいさ、そんなに今すぐに飲まないとだめなのかい!? ああ、行ったらいい、好きにしてくれ。



紙をくれ、僕はこの色じゃなくて、赤がいいんだ!と、交換を要請。

もう半分、折ったのにいま交換!? また最初から教えなきゃいけないわけぇ〜!?



「このあと、なに!ここからどうやるの!?」と、トイレから戻った子が、叫びながら机をよじ登ってくる。

ああ、もう、とっくにそんなとこ過ぎたんだよ!!



「ネクスト!ネクスト!!」と言って、わたしの顔の目の前3cmのところに折り紙をヒラヒラさせてくる。

ああああ!!もう、邪魔っ! わかったっつーの!



「ジリリリリリリリリリ!!!!!」

そして、終了のベルが鳴ってしまう・・・・・・・・。



「スナックターイム!!!」と叫んで、ダダダダダッ!!!と、風のように子供たちは教室から走り出ていってしまう。

えええっ! いままであんなに盛り上がっていたのに、一瞬で忘れちゃうのか。



恐るべし、お菓子の威力!

残った空気は、まるで台風が去った後のよう・・・・・。




いやあ、よい修行させてもらいました(笑)

年齢の低い子供たちに折り紙を教えるのは1〜3人くらいがベストだな、と溜息がでました。(笑)

30人は、めちゃくちゃだ。(笑)

絶好の思い出写真のチャンスだったのに、写真を撮る、余裕、まったく、なしっ!!!(笑)


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空き時間などに、大人のミャンマー人と、15歳の子供たちに教えました。

おとな、ラク〜〜〜〜〜〜〜。(笑)

ツル、サカナ、ちょうちょ、鳥、カナブン、カメ、を、作りました。(やり方の図を見ながら)

子供も大人も、折り紙を、喜んでくれたみたい。

嬉しかったです。


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2015年04月21日

ミャンマー23「変わらないでミャンマー」



夕方、ご近所を歩いていると、ある建物の中に僧侶が入っていくのが見えました。

おっ! あの建物は、お寺に違いない!

神仏好きのわたしは、ワクワク♪

僧侶のあとについていきました。

そこは、奥まったところにあるパゴダ(お寺)でした。

道からは見えなかったのですが、結構立派なパゴダでびっくり


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夕涼みをする母と赤ちゃん。

熱心に祈る、身なりの良い男性。

奥の小部屋で休む年配の女性たち。

ここは、町の人々の憩いの場なのですね。

穏やかな波動で、わたしもとても癒されます。


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先日のウォーターフェスティバルでは、まるでギャングみたいな服装と髪型の若者たちが、

酔っぱらって、タバコを吸って、喧嘩をして、クラブミュージックで腰を振って踊り狂っていた、

わたしにとって、好きではない光景を見て、かなりなショックを受けていたのですが、

こうして、町はずれでは、きちんと昔ながらの穏やかさが息づいていて、ほっとします。


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アメリカナイズされてきている、ミャンマーの若者たち。

若い人たちは、チンピラみたいな服装や態度が、かっこいいとされているみたいで、とても残念です。

(日本もそうですね。たまにテレビを見る機会があると、チンピラみたいな有名歌手グループや、明らかに悪そうな顔と雰囲気のタレントやコメディアンが流行っていてがっかりです)


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どうか、変わらないで。ミャンマー。

       あなたたちの持つ、愛をそのままで。


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どうか、大事なものは残して、成長していって。

       美しい宗教性を、陰らせないで。


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どうか、豊かさを、はき違えないで。

       何もないこと、手間がかかることにこそ、光が宿る。


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どうか、世界の先進国の真似をしないで。

       物質の便利さと交換に、宿された光の目を失い、なにもかも忘れてしまうから。


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どうか、楽しみを外側に求めないで、仏教の教えの通り内側を満たして。

       祈りの力をずっと、ずっと、信じて。


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どうか、闇の勢力に負けず、ひとびとが、清く正しく、光とともにありますように。

ご縁を、どうもありがとう、ミャンマー。




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2015年04月20日

ミャンマー22「人間の価値」



ミャンマー滞在3週間が経ちます。

なるほど、ミャンマーの教育体制がわかってきました。



わたしの友人(この夏合宿の校長先生)は、とても、「位」を重視する人だということが、今回、話を聞いていてよくわかりました。

どれだけ、世間で有名か、どれだけ学歴があるか、資格を持っているか、教授とか医者とかの知り合いがどれだけいるか、社会的に認められているか、

それが、人間の価値だと思っているみたい。

彼は、青年実業家ですから、それは仕方がないのかもしれません。

もしかすると、ミャンマーという国の社会そのものが、そうなのかもしれないですね。



彼の話では、ミャンマーでは、とても限られた数少ないひとびとだけが、よい仕事につけるのだそう。

よい仕事・・・というのは、おそらくオフィスワークのことでしょうね。

だから、学歴や資格がたくさんあったとしても、ワーカーを受け入れる容量が狭いため、その「よい仕事」に就けない人がほとんどなのだそう。



それでは、なぜ、人々が学歴や資格にこだわっているのかというと、それは、「結婚」のためなのだそう。

ミャンマーでは95%が親が決めた人と結婚する「お見合い結婚」だそうで。

「お見合い」とは名ばかりで、会ったこともない人と、結婚することが決まってから初めて会う、みたいな感じだから「アレンジ結婚」と呼びますね。

結婚相手を自分で選ぶこともできなければ、嫌な相手だったとしても「NO!」とは言えないのですね。

なんだか、かわいそうな気もするけれど、それはきっと、神仏を心底信じて、委ねているからできることなのかもしれません。



親が、自分の子供に結婚相手を選ぶときに決め手となるのが、

「学歴」「資格」「地位」「財産」なのだそう。

だから、人間の価値は、それで図られ、そして、両親は、そのお相手が自分の子供にふさわしいかどうかを、その「ラベル」で決めるのだそう。


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なんだか、その話を聞いたら、驚きとともに、嫌悪感で吐き気がしました。

学歴もないし、社会的にも安定していないし、子供のころから貧しく、家庭環境もよくなかった私は、

ミャンマーでは、完全にアウトでしょうね。 

でも、「日本人」というラベルだけで、ものすごいリスペクトしてくださっていますが。

それがミャンマーという国。 この国の思想なのでしょう。

わたしには納得はいかないけれど、それが常識として育っている彼と、その件について論議しても仕方がないから、わたしの大事な「経験」として、しまっておきました。

わたしがラベル重視の人間の価値観に理解できないように、きっと、彼は、「人間は中身である」という私の反対意見は納得がいかないでしょう。

世界は、本当に広い。 

いろんな意味で、広いです。

すべてをありのまま、見て、そして、ありのまま、受け入れること、です。

世界にでると、いろんな発見があります。


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とはいえ、

ミャンマーには、日本には絶対にない、素晴らしさがあるのも事実。

なにが良くて、なにが悪い、というものではないのですね。

日本についての素晴らしさも、ミャンマーについての素晴らしさも、語りつくせないほどあります。

別の機会に書こうと思います。




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2015年04月19日

ミャンマー21「シンプルな優しさと残酷さ」



午後は、ダンスか、楽器か、コンピュータか、選択制のホビーの教室です。

ダンスクラスを選択する子供が圧倒的です。


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みんな、本当に、楽しそうに体を動かしています。

でも、すぐに飽きちゃう子もいて、わきで、適当にさぼっていたりします。


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子供たちは、クラブミュージックが好きで、黒人の人たちが踊るっているようなダンスが好きみたい。

わたしが子供のころには、ありえない光景です。

わたしが小学校の時は、ラジオ体操くらいしか、踊りませんでしたから(笑)


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わたしも、ダンスクラスを担当しているのですが、わたしは、ちょこまかした、小さな動きのダンスや、

ラップミュージックのようなダンスは好きではない(踊れない)ので、子供たちの期待に応えられなくて・・・・。

私が好きな、ダイナミックの体を開いたり、閉じたり、ゆるやかに舞ったりするのは、子供はすぐに飽きてしまいます。

だから、昔、エアロビのインストラクターだったころを思い出して、エアロビチックなダンスを教えたりしてみたのですが、

それも、動きが大きくて、シンプルだから、飽きてしまうみたい。


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飽きると、子供は、とてもわかりやすく、離れていきます。

わたしは、これまで子供と接することがほとんどなかったので、この、露骨につまんなそうな態度が、結構ショックでした。

でも、彼らは、別に、わたしが嫌いになったわけじゃなく、ただ、その時間に飽きてしまっただけなんです。

ダンスクラスが終われば、また、嬉しそうに寄ってきてくれます。

なるほど、とてもシンプル。

この、シンプルがゆえの残酷さも、学びとなります。

わたしは、それに、揺さぶられずにいればいい。

どんなに、周りの人々が離れていったとしても、わたしはわたしでいればいい。


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そして、

楽器のクラスにお邪魔してみました。


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このクラスは人数は少ないけれど、真剣さがものすごいです。

とても一生懸命。


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わたしも興味津々で見ていると、「ギター弾ける?」と少年が聞いてきました。

「全然やったことない」と答えたら、

「やってみる?」と、いま、自分が練習していたギターとピックを渡してくれました。

わたし、感動・・・・・・。

そして、何人かの少年が、ギターの抱え方から、コードのひとつひとつ、手とり足とり、教えてくれました。


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わたし、本当に、感激・・・・・・。

なんて、優しい子たちなんだろう・・・・・。


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しかも、すごい自然。

なんの、下心もないし、作り笑顔もない。

仲間に入れてくれてどうもありがとう。

胸がじーん、といっぱいになりました。


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子供たちのシンプルさ。

本当に、感謝です。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー20「ミャンマー式お誕生会」



今回の夏合宿は、子供たちは2か月間ともに過ごすのですが、

その、期間限定の夏合宿に、3年間の学校スタイルに通っている15歳の子供たちも、一緒に参加しています。

2か月間の期間限定の夏合宿には、9歳〜13歳くらいまでの子が多いのですが、

3年間の学校スタイルの子供たちは、みんな15歳です。

わたしは、なにも知らずに、なにも知らされずにミャンマーに来まして、

そして、こちらに来ましてからも、なにも説明などないので、

つい昨日、その話を聞きました。 もう、ボランティアを始めて3週間たつのですけれど(笑)

こちらでは、今日のプログラムも知らされません。

突然、寮に、ピンポンと来て、「Are you ready?(準備はいいですか?)」と聞かれます。

準備できているわけないじゃないか、といつも、突っ込みを入れます。

これがミャンマースタイルなのかもしれないけれど、きちんと時間厳守の日本人の私としては、毎日、学校に振り回されっぱなしで、いつ来るかもわからないお迎えに、いつでも自宅待機していなければならなくて、どこにも出かけられず、かなり窮屈ではあります。

文化が違うから、受け入れるしかないです。

はい、愚痴は終了(笑)



その、学校スタイルの子供たちの中のひとりが、昨日、お誕生日でした。

彼は、私に一番最初に「日本語を教えてください」と近寄ってきた生徒です。



ミャンマーのお誕生会は、おもしろい伝統で、大変、興味深かったです。



日本だと、お誕生日の人は、いわばプリンセスなので、チヤホヤ、される、というイメージがわたしにはあるのですが、

こちらは、お誕生日の人が、皆を招待して、来てくれた人のホストになって、ジュースを配ったり、ケーキを配ったり、ものすごい気を使っていました。



そして、年齢の数だけキャンドルをともして、ふーーーっ、と息を吹きかけて・・・・・というのは、日本と同じ。

みんなで、ハッピーバースデイの歌を、英語で歌った後に、ミャンマー語で歌いました。


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そのあと、お誕生日の人が、ケーキを切り分けます。

まず、お皿に一山乗せて、一番年長の人、もしくは、一番ゲストのかたのところに行きます。

そして、招待されたそのゲストは、フォークでケーキを一口分すくって、お誕生日のその人に、アーン、をして食べさせてあげるのです。


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お誕生日の人は、それを、集まっているひとりひとりのところにまわって、全員から、アーン、をしてもらいます。

おもしろーい、です。



その後、お誕生日の人は、周りから生クリームを顔につけられます。


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そして、そのお誕生日の人が、今度は、出席してくれた人、ひとりひとりの顔に、生クリームを塗りに行きます。

「幸あれ」という意味なのだそう。

みんなで、幸せのシェアリングでそうです。


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おもしろいです。

お国が違うと、週間も文化も違う。


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みんないつも、ミャンマー語でしゃべっているので、正直、なんだかわからなくて、寂しかったりするけれど、

子供たちが幸せそうなので、わたしは、嬉しい気持ちになります。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

ミャンマー19「ミャンマーの新年」



あけましておめでとうございます。

今日はミャンマーの暦の新年です。

つい4日前も、みんな「Happy New Year!」と言っていたから、その日が新年だと思っていたのでびっくり。

4/13は、ネパールの暦の新年なのだそうで、ミャンマーはネパールから来ている人がたくさんいるのだそう。

そして、それと、ミャンマーの新年がほぼ重なっているので、そのお祝いとして、ウォーターフェスティバルなどで、お祝いするのだそう。

(それにしても、そのウォーターフェスティバルはものすごいクレイジーでしたが・・・数日前にアップしました)

実は、今日 4/17が、ミャンマーの新年なのだそうです。(あと、タイもそうかも?)



今日は、朝4時ころから、ミャンマー語でなにやらお経?のようなものを唱えている放送が、爆音で流れていました。

夜19時ころまで、ずっと、それが続いていました。

わたしがボランティアをしている学校には、ネパール系の生徒たちが多いので、4日前のネパールの新年の時ほどは、はしゃいでいる感じがなかったです。





日中は、ものすごい暑さなので、外に長時間出ることが難しいので、

夕方の少し気温が下がったころに、お散歩をします。

いつもの路地を歩くと、お坊さんたちと女性たちが、なにやら集まっています。



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真剣にお祈りしていましたので、きっと、新年の祈りの会なのでしょうね。

男性は、その集いから外れたところで見ていましたので、女性だけのものなのでしょう。

興味深いです。

お祈りをしている場は、大好き。

思わず、立ち止まってしばらく感じさせていただきました。


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そう、新年です。

新しい年を迎える、今日です。




今日もまた、大きな気づきがありました。

わたしが、子供のころから持ち続けていた「重り」を、ひとつ、手放しました。

封印が解かれ、また、解放されました。

今日の私は、道を歩いているだけで、涙が出てきました。

こうして、わたしが生きていて、地球の上を歩いている、ただ、そのことに喜びが溢れてきました。

生きているだけで、幸せ。

逞しく根を張り、枝を広げる、樹木のように、ただ、生きているということに、喜びながらここにいる。

こうして、ミャンマーの地に暮らすように滞在し、

そして、この地に受け継がれている新年のこの日に、

新たな一歩を踏み出したことに、心から感激しています。


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人間に生まれてきた以上、数えきれない封印があり、ブロックがあり、

人生とは、それを、ひとつひとつ、開いて解放してゆく長い旅路なのだと思います。

その人生という旅路の途中にいる、人間である「わたし」は、まだまだ、解放の可能性を秘めていて、さらに開かれていくのだと感じています。

それには終わりはなく、もし終わってしまったのならば、それこそ、「わたし」という人間が終了するときなのでしょう。

だから、生きている限りは、まだまだ、学び続け、成長し続ける要素が、あり続けるということ。

気づき・・、癒され・・、学び・・、手放し・・、解放され・・、そして、成長・・、進化・・、開花・・していく、わたし。

それはこうしてわたしが生きている、この世界での、ご縁のあるすべてのかたがたのおかげなのです。

感謝。 合掌


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

ミャンマー18「シュエタゴンパゴダ」



ミャンマーで最大の巡礼の地。

シュエタゴンパヤー(パゴダ)に行く機会に恵まれました。


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言葉では表現できません。


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素晴らしいです。


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ミャンマーの信仰する人々の憧れの地。


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お釈迦様の聖髪8本を祀ってあるそうです。


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ものすごーーーーーい、広い!


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広大な敷地の中に、数えきれないほどのパゴダや祠があります。


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いろいろなストーリーに分かれていて、それぞれ名前が付いていました。


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ガイドをつけませんでしたので詳しい内容は、わからなくて残念です。


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とにかく、広くて、とにかく、素晴らしいです。


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人々は、子供も、大人も、老人も、チャラチャラした若者も、

みんな、みーんな、とても真剣にお祈りをしています。


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以前、ミャンマー人の友人に、わたしは(ミャンマーの8曜日で)土曜日生まれだけれどどの動物が司っているのか?と聞いたら、モグラ?だと言っていたけれど、

きちんと調べたら、土曜日は龍でした。

ミャンマー人は、適当だなぁ(笑)

うん、龍なら納得。



自分の生まれ曜日の像に、お水をかけます。


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「何回かけるの?」とその辺の人に聞くと、

3回、8回、10回、と聞く人ごとに違う回答が返ってくるので、きっと、何回かけてもいいんでしょうね。

好きなだけかけるということでしょう。

わたしも、マントラを唱えながら、ザバザバ、お水をかけさせていただきました。

お釈迦様の像の後ろに立ってらっしゃるのは、ミャンマーで言う天使様。

以前のブログ記事にも書きましたが、ミャンマーでは天使様を崇めている人が多いそうです。


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あとで地元のひとから聞いた話ですが、ミャンマー人は無料で入れるのだそうですが、

外国人は8000チャッツ(960円くらい)を支払わなければ行けなかったのだそうですが、

わたしは、正面玄関から堂々と、一眼レフカメラをぶらさげて入場しましたのに、

呼び止められることがありませんでした。

入場料を支払うカウンターのようなものがみたらず、看板などはすべてミャンマー語で書いてありまして、

入場料を支払うカウンターなどの、英語の表示がどこにもなかったので、わたしはてっきり、無料なのかと思っていました。

しかも、その日は、旧暦の新年になる前日でしたので、特別サービスなのかな?と気にしていませんでした。

でも、かなり厳しく外国人をチェックしているようなので、わたしが呼び止められなかったのは、とても不思議です。

無料だと思っていましたから、別にこそこそ、していたわけではなかったのに。




学校で一緒にボランティアをしている方から、

「ああ、ユキは神に招かれたんだよ。祝福を受けたんだね。よかったね。」

と言われました。

ふふふ、そうか、そういうことなら、よくわかります。

合掌


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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー17「ヨーガクラス」



この夏合宿の生徒たちは、9歳〜15歳まで、全部で100名近くいます。

ですので、年齢と理解度にわけて、3つのグループに分けてヨーガを教えています。

毎日、朝六時からヨーガクラスがあります。(わたしは、毎朝四時起きです。)



私が担当するクラスは中級クラス。

20名くらいかな?

一番、体的にも、精神的にも、理解力的にも、大人なクラスなので、

13〜15歳の子供たちが多くて、わりと言うことを聞いてくれるので助かっています。


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ヨーガクラスの中でも、相当な数の日本語の単語を覚えて、真似されています。

というのは、わたしが、日本を交えて指導しているから(笑)

すると、子供たちの集中力がこちらに向くのです。

子供も、「はい!」とか「がんばって!」とか「できた?」とか「ありがとー」とか、真似して

とても楽しそうです。




子供たちもいろいろで、ヨーガをするにしても皆それぞれ、向き合い方が違って面白いです。

問題を抱えている子供は、みるとすぐにわかります。

様子が前日と、ガラッっと、変わりますから。

子供自身も、わけがわからないから、ストレスや問題に対して、どう対処していいのかわからないのでしょうね。

すると、吐いたりおなかが痛くなったり、頭痛がしたりする肉体的な不調になって、それだけではなく、

クラスへの意欲がなくなったり、不注意になったり、集中力がなくなったりします。

本当に、わかりやすいので、とても興味深いです。

それを、抑えつけて言うことをきかせるだけではなく、その子がその問題とどのように向き合っていくかを、導いてあげたいです。


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とはいえ、集中力がないときもあります。

テストの日の朝とか、お休みの次の日の朝とか。

そういうときは、もう、仕方がないから、押さえつけるのをやめて、

自由にのびのび、楽しめて、そして、少しチャレンジ意欲がわくような、ポーズを練習させます。

ときには、ペアになって、サポートの練習もさせます。



意外にもミャンマーの子供たちは、以外にも、体がものすごい固いんです。

この国には、ダンスの授業はあっても、体育の授業がないので、体操をあまりしないのでしょうね。

だからダンスをするときや、スポーツをするときなども、ストレッチをしたことがないそうです。

子供は体が柔らかいものだと思っていたから、9歳~15歳までのほぼ、全員が体が硬くて、とても驚きました。

でも、「恐れ」がまったくないので、ヘッドスタンドは、もう、すぐにできちゃうんです。

大人は、なかなかできないかたが多いのですが、さすが、子供ですね〜。

ヨーガのアーサナは100%、そのかたのメンタル(精神)が現れます。

とくにバランスのポーズは顕著です。

「恐れ」がないと、こんなにも簡単にできちゃうのかぁ〜、と改めて納得。

アーサナは、本当、内面に持っているものがでます。




できるようになると、こんなことも、勝手にはじめちゃいます。

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ある程度体が動かせる男の子たちは、いろいろ工夫して、勝手に遊んでくれます。


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子供たちのクリエイティビティは素晴らしいですね。

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わたしも楽しくなっちゃって、参加してみたりして。

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黄色いシャツ(シヴァナンダヨーガのユニフォーム)がわたしです。

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子供たちは、どんなストレス下にいても、いつでも、自分自身を楽しませる方法を見つけだします。

素晴らしいですね。

自分を喜ばす方法を、よく知っています。

大人は自分を喜ばせるために、すぐに物質に走ってしまう・・・・・お酒、買い物、チョコレート、食べ物、タバコ、セックス、旅行、ギャンブル、など・・・・・

でも、物質で得られる喜びは、本物ではありません。

子供たちは、全部知っているのですね。

大人も子供を見習うべきです。

子供から学ぶことが毎日たくさんあります。

素晴らしい教師です、子供たちは。

本当にありがとう。


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愛しているよ〜!

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月15日

(詩)『Divine』


(詩)『Divine』


天空に 大きく両腕を広げているあなたは 

破片となって ひとつひとつ 剥がれ落ち

ぱらり ぱらり とわたしの前に 落ちてくる

かつてはあなたの一部だったものが 

私の前で みるみる 形を変え 質を変え

砂になり 水になり 風となり 音となって

この世界を 色づけていく

わたしはそれらを 指先で掬い上げ

眼差しと 吐息で 順列を諭し

そして すべては あるべくところへと 収まっていく

瞼を開くと 完璧な姿で あなたはそこに在った



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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

ミャンマー16「ウォーターフェスティバル」



4/13〜17の期間、ミャンマーでは年に一度の、最大のお祭り、「ウォーターフェスティバル」が開催されます。

13日に天使が降りてきて、14〜16日までの3日間、人々はそれをお祝いして、天使を喜ばせるために、水を大量にまき、人々に水をかけていきます。

そして、17日に天使は帰っていくそう。

この5日間は、日本のお正月休みみたいなもので、みんなホリディなのだそう。

実際に、4/14はミャンマーの旧暦での新年だそうです。



いやー、それにしても、「水をかける」なんて、生易しいものではなくて、

「ぶっかけて、放り投げて、狙い撃ちする」って感じです。

しかも、大人たちはビールやウイスキーを片手に、明らかに酔っぱらっていて、タバコもプカプカ。

チンピラみたいな人たちが腰を振って踊りまくっていて、これで、天使が喜ぶのかなぁ〜、と疑問ですが。

宗教性が高いと思っていたミャンマーの、違う一面を見せられました。




町中が水かけまくりなので、濡れずに無事に道を歩くことができません(笑)

濡れるっていうレベルが違います。 土砂降りの雨に打たれた状態に濡れます。

バケツの水を頭からかけられますから(笑)



子供たちはトラックの荷台に乗り、水を浴びる気満々です!

わたしは、写真を撮りたかったので、フロントシートの安全な場所にいました。

でも、灼熱の中、エアコンなしのオンボロ車で、窓を開けられないという、サウナ地獄でしたが(笑)




こんなふうに、道のあちらこちらにバケツを持って待ち構えています。

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そして、容赦なく、ザバーーーーッ!!

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あちこちに、ステージが設置されていて、大爆音でガンガン、クラブミュージックが流れていて、若者たちは水の中、酔っぱらって踊り狂っています。

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おいおい、それは消火栓だろ〜〜〜、と何度も突っ込みを入れました。

あちこちで、火事の時に使う消火ホースが!!!  いいのかなぁ〜〜(笑)


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道路は、大渋滞です。

踊り狂う人々で道がふさがって通れません。


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町全体が、土砂降りです。

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これが、3日間続くのです。


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最初の30分は楽しかったですが、その後は、疲れましたよぉ〜〜。

わたしたちは、トラック3台で、4〜5時間、町を回りました。

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生徒の子供たちは、ものすごく楽しそう!!

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子供たちが楽しそうで、わたしも嬉しくなります。

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疲れたけれど、この子たちの笑顔を見たら、元気が出ますね。


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愛しているよ〜〜。

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posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー15「葛藤へのギフト」


ああ、なんてミャンマー、素晴らしいのだろう。

ミャンマーで活動させていただけるなんて、こんなに素晴らしいご縁に恵まれて、わたしはなんて幸せ者なのだろう。

わたしは、確実に、神仏に守られ、導かれていると、感じる出来事の連続です。

今回のこのミャンマーは、本当に、本当に、守られている感がすごいのです。

宇宙のリズムで生きていると、心で呼びかけるとすぐに、その返答的な出来事が起こります。

ありがたくて、ありがたくて、どう、感謝を現したらいいのやら・・・・・・。



昨日のこと。

ひとつの問題に対して、わたしの魂は確かな決意をもって、わたしをある方向へと導きました。

でも、人間であるわたしは、人間的なエゴと情が絡まりあい、魂の声がわかってはいるものの、決断の勇気ができずにいました。

わたしも人間ですから、葛藤して当たり前です。

葛藤するほど、大切なもの、大事にしたいものがあるということ。

それは、人間としてはとても社会性のあることであり、認められることでありますから、

葛藤自体が悪いことではないと、わたしは思います。

その葛藤からも学ぶことがたくさんあるわけなので、

葛藤の渦中でおぼれずに、上空からその渦を眺めていればよいのです。

葛藤して悩むほど、誠実な自分を、愛をもって見つめてあげる。

そして、最善の努力をして、あとの結果は、すべて宇宙・神にお預けする。

(人間は結果をあれこれ考えて前に進めないことが多いですね)




わたしは、ポーン、とその問題を宇宙に投げました。

そして、投げたうえで問題と客観的に向き合い、感じていました。

「どうか、わたしに教えてください」

と心の中で宇宙・神仏にお願いをして、吹いてくる風に身をゆだね、

考えることをギブアップして、

思考を止めた時にだけ聞こえることができる、

鳥の声や、遠くの人々の話声や、風が耳を掠める音や、木々が揺れる音に、意識をゆだねました。

森羅万象、すべては宇宙の流れに委ねられている。



そのとき、一陣の風が吹き、わたしの横に立っている大きな木の枝が騒がしく揺れたかと思うと、

わたしの手のひらに、小さな黄色い花が飛び込んできました。

私はその時、立っていて、右ひじを軽自動車の荷台にかけて寄りかかっていました。

左腕は自然に垂れ下がり、左手は、自然に半分閉じていて、その手のひらは、自然に、自分の左モモのあたりへと向いていました。

手のひらを開いていたわけではないのです。

自然に閉じられて、しかも、こちら側を向いている手のひらの中に、黄色い花は飛び込んできたのです。

自然に丸まっている人差し指と、親指のわずか2センチ足らずの狭い隙間から、黄色い小さな花が、文字通り「飛び込んで」きたのです。



わたしは、手のひらに何かを感じ、なんだろう?と広げてみてみました。

そして、その神からの小さなギフトを見ると、ニンマリと微笑みました。



「やりたいように、したらいいのだよ。どのような選択も、すべて正解なのだから。お前の人生はお前でしか描けない。」

と、メッセージをいただいた気がしました。

「いつでも、お前とともにいる」とも。



わたしは、黄色い花が乗ったその手をそっと握り、胸に当て、

晴れやかな気分で、空を見上げました。

とても満たされた気分でした。

いつも、ありがとうございます。


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2015年04月13日

ミャンマー14「ビルマの宗教性」



ミャンマーの昔の呼び名は、ビルマ。

私たち日本人は、「ビルマの竪琴」という映画で馴染みがある名前です。

こちらの発音では「ブヮルマァ」という感じです。



この国の人々は、とても宗教性が高く、神仏を真剣に崇めています。

それは、パゴダに行った時の、真剣に祈る人々の姿からもよくわかりますし、

日々の生活の中で、本当に親切にしてくださる、この国のかたがたの、宗教がつくるその素晴らしい人間性からも見て取れます。



この国の宗教心の高い人々は、明日のことは考えないのだそうです。

明日、もし食べるものがなくなったら・・・・ということは考えないのだそう。

すべてを神仏に捧げているので、自分という個のものは、今日という日をただ生きるのみ。

道を歩いていて、パゴダ(お寺)があったらもちろんそこにお参りをするし、

お参りでは、自分のつけているすべての装飾品を、神仏にお供えしてしまうのだそう。

我欲も、明日への不安も、なにもなく、すべて、神仏に寄付するのだそう。



明日、何が起こるかはわからない。

でも、今日はこうして生きている。

今日は、こうして、幸せに生き、そして、今日生きるだけのすべてが与えられている。

そのことのみに目を向けて、その感謝を捧げるのだそう。


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伝統的なミャンマーの朝の習慣は、朝4時に起きて、4:30に食事を作り始める。

そして、朝日が昇るころには、作った食事をまずは家の外に持っていき、

次から次へと行列でやってくる僧侶の托鉢の中に、順番に入れていくのだそう。

そこで、明日の分の食糧がなくなることなど、気にしないのだそう。

僧侶に、あげたあとに、残っているものでやっと、自分の朝食をとるのだそう。

生かされていることに、感謝するこの行為から一日が始まる。




その僧侶はといえば、

裸足で布一枚の衣類をまとい、瞑想をしながら歩いている。

托鉢を抱えて、約3m先までしか見ない決まりなのだそう。

「いま」というときに生きる、瞑想をしながら歩いている修行なのですね。

顔を上げてキョロキョロしたりせず、自分の足元だけを見て歩いています。

だから、目の前に民衆が食事を施そうと立っていることも見えないですし、

それに対する、すべての期待を捨ていているのでしょう。

足元しか見ていない僧侶は、だれが、托鉢の中に食糧を入れてくれているのかさえも見ず、

なにを、入れているのかも見ず、

入れられたものは、すべてありがたくいただくのです。



民衆も「いま」そして「今日」を生き、未来への不安はすべて神仏に預けているし、

僧侶も、「いま」のこの「一歩一歩」に生きています。

未来への心配も、過去への後悔や怒りもなく、

ただただ、「いま」という時を、神仏に捧げて、生かされているのです。


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なんて美しい宗教性なのでしょう。

感動とともに、感謝の気持ちです。

同じ地球の上で、こんなふうに、祈りの生活をしてくださるかたがたがいてくれている。

だからこそ、こうして、地球は保たれているのだ。

日本のように豊かではないし、日本のハイテクな生活から考えると不便なことばかりだけれど、 

それ以上に、彼らは人間として豊かなのだと感じます。

わたしがインドをはじめアジアの国々を愛しているのは、この宗教性が育む人間としての豊かさが心地が良いからです。

わたしが、インドやアジアの国々で、一番何がしたいかと言うと「祈り」です。

一般の人々が旅行の目的とする、観光や買い物なんか、まったく、なんの興味もありません。

素晴らしい波動の地で、「祈る」、ということが至福なのです。





いまの日本では宗教性が薄く、「宗教」というと、なぜか怪しい新興宗教を思い浮かべ、疑いの目で見るかた多いような気がします。

わたしは所属するのが嫌いなので、無宗教です。

しかしながら、「宗教性」を愛していますので、すべての宗教を尊んでいます。

日本では、眉をひそめ、宗教を毛嫌いする人が多いですが、

それは、間違ったやりかたで、間違った布教をして、間違って宗教をとらえてしまっているエゴと無知と闇に侵された集団が、それを宗教と名乗って世間を騒がしているからでしょう。

仏教であるお寺も、神道である神社も、キリスト教である教会も、みんな、宗教です。

日々の祈りを行わない人も、みんな、お彼岸には先祖のお墓参りをしますし、お盆休みもありますし、神社に行けば手を合わせていますし、クリスマスにはお祝いをしています。

そこには拒絶感が現れないということは、わたしたち日本人の根底にある「宗教性」はまだ存在するからなのだと思います。

わたしは、それを信じています。




繰り返しますが、わたしは無宗教です。

しかし、宗教性を愛し、それに生きています。

世の中には様々な宗教があり、みな違う神を持っていますが、結局のところ、すべてはひとつに繋がります。

生き様として、自分の人生をもって伝えたいです。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 07:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月12日

ミャンマー13「ぶらりご近所散歩」


毎日、夕陽がとても美しい。

日々、感謝が溢れます。


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仕事が終わって帰宅し、一息ついたところ。

夕陽の時間は、リフレッシュにお散歩に出ます。

ぶらり、ぶらり

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わたしが滞在している教師の寮は、国道から、50mほど外れた住宅街です。

普通に生活をしている人々が周りにたくさんいます。

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とても立派なおうちもあれば、質素すぎるおうちもあります。


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異国はみるものすべてが新鮮で、おもしろいですね。

稲を吊るして、スズメたちがついばんでいます。

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こんなふうに、リヤカーみたいなお店がたくさんあるのは、インドの風景と同じです。

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主に、駄菓子とタバコ(普通の煙の出るタバコと、噛みタバコ)を売っています。

吊るさっているのがそう。


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お散歩のおともに、ひとつ200チャッツ(約25円)の駄菓子を買って、それだけなのに、なんだか、心がウキウキします。




道のあちこちにあるこの甕は、お水が入っています。

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住人の人々の飲み水なのでしょうね。

もちろん、わたしは飲みませんが(笑)



もうすぐ、ミャンマーの新年のお祭りがあるので、村はその準備を始めています。

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彼女たちもおめかしして、なにか行うのでしょうね。

英語が通じないので、想像で会話をします。



なにやら、神聖なものを、建築中。

なんだろう、お寺かな?

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道のど真ん中で、子供たちが毎日、サッカーをしています。(通れません(笑))

わたしを見つけると、楽しそうに手を振ってくれました。

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なんて、無垢なんでしょう。 感動。

かわいいなぁ、仲間に入りたいなぁ、なんて、思っていたら、

偶然にも、はじかれたボールが私のほうに転がってきました。

ははは、思うと、叶うね。

そのボールを蹴り返して、子供たちは、蹴り返したボールのほうへと、ワイワイ言いながら駆けていきます。




しばらく歩くと、今度は、大人たちが蹴鞠のような遊びをしています。

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サッカーボールではなくて、編んである小さなボールで、遊んでいます。

大人も、無邪気だわぁ〜。

しかも、毎日、この時間に、飽きもせず、毎日!

「こんにちは、撮ってもいいですか?」と聞いたら、いいよ!のサイン。

とても楽しそう〜〜〜。 おじさまたち。

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サヨナラ〜!と手を振ったら、満面の笑みで手を振り返してくれました。




とても、のどかです。

とても、とても、癒されます。

こんなあたりまえの、なんてことない生活の中にも、

人々の愛が感じられ、みんな支えあって、皆でともに生きているのが感じられます。

小さなことですが、なんだか、ジーン、と感動します。

ミャンマーの人々が、夕焼けに溶けていきます。

posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》ミャンマー2015.3-4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする