2013年12月31日

信じてくれて、ありがとう2013



日本では、もうすぐ、今年が終わる時間ですね。

ここ、ネパールは、日本と時差が3時間15分あります。

いま、わたしは、ネパールのルンビニーという聖地にいます。

お釈迦様の生まれた場所です。

その、聖なる場所で、年越し、新年を迎えます。

素晴らしいご縁で、日本のお寺さんに滞在させてもらっています。

今日は、お堂の大掃除を手伝い、これから、深夜に除夜の鐘をならします。

わたしも、12回、除夜の鐘を打たせてもらうのです。

なんて、光栄なこと!



いま、夕方のお経が終わりました。

たっぷり、2時間のお経です。

明日の朝は、4時間、ルンビニーの街中を、お経を唱えながら祈り歩きます。



日本のみなさま。

愛しています。

私を、信じてくださってありがとうございます。

ときに、私に対して、

疑う気持ちや、否定する気持ちも、モヤモヤした気持ちも、あったのでしょうね。

でも、あなたは、信じてくださった。

その、ある意味「勇気」にも似たお気持ち、痛いほど感じます。

本当に、ありがとうございました。

心から、愛しています。

あなたのこと、あなたのこと、あなたのこと、

愛しています。



あともうすぐ、

元旦の新年 無償一斉ヒーリングに入ります。

1/1 0:01から23:59までです。



お申し込みくださった皆さんは、すでに、わたしのエネルギーに包まれています。

おひとり、おひとりに、丁寧に、感じさせていただきながら、お独りずつ、入っていきました。



それは、緩やかな、心地よいうねりのある、ぬるめの水の中を、

ゆらゆらと、漂いゆれているかのような、気持ちのいいところです。

エネルギーの中のあなたは、目を閉じて、うっとりと、まったりと、しています。



とても、美しい、青色をしています。

そして、深みのある輝きで、そのゆらめきを、いっそう、美しく映えさせています。

そこは、とても平和で、なんの心配も、恐れもないところ。

時間になりましたら、おひとりおひとり、それぞれ、あなたが必要なヒーリングがされます。

どうぞ、心を開いて、お受け取りください。

一斉ヒーリングの感想、お待ちしております。



ああ、なんて、素晴らしいんだろう。

とても、愛に満ちています。

ありがとう。

あなたが、信じてくださるから、わたしは、こんなにも幸福に、

あなたへの、ヒーリングも増幅します。

信じてくださる、あなたのエネルギーが、わたしの力を増幅するのです。

あなたは、癒されるのと同時に、わたしを、癒しているのですね。

本当に、どうも、ありがとう。

どんどん、増幅し、周りの人にも広がって、地球が、平和に満たされますように。



もしもあなたが、なんらかの事情があって、参加したかったけれど、できなくて、

一斉ヒーリングにお申し込みされていない方でも、

テレパシーで感じた方は、実は、一緒に入ってもらっています。

もしも、あなたが、そうならば。

どうぞ、同じように、感じて、受け取ってくださいね。



ネパール、ルンビニー、お釈迦様が生まれた場所。

シャンティストゥーパ、仏舎利塔、ワールドピースの塔があるお寺にて。

今年一年、お会いして、心を通わせた、すべてのあなたに、すべてのあなたに、すべてのあなたに、

ほんとうに、心底から感謝をしながら、夕方のお祈りをしました。

心から、心から、どうもありがとうございました。



まもなく帰国。

いろんな、ニュースがたくさんあります。


P.S. 
1月のスケジュールをアップしましたので、HPをご覧ください。
http://yukismyogaism.jimdo.com/







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月30日

たびたびですが、またまた一斉ヒーリング追記です



たびたびですが、下記について、また追記です。

申し込み締め切りの30日0:00は、

30日の23:59までです。

わかりにくくてすみません。

まだ、大丈夫ですので、どうぞ。



*********




再度、下記についてについて追記があります。

ご家族の方のお申し込みについてですが、

終了後の感想は、お申し込みくださった方が、そのご家族の方の様子をごらんになって、その感想を書いても結構です。


ですので、代筆でも大丈夫です、という意味ですね。

わかりにくくて、すみませんでした。



現在、ネパールのポカラという場所にいます。

ここは、のんびりした観光地で、わたしも、珍しくのんびりさせてもらってますよ。


では、下記が、前回の記事です。


*******


前の記事の、一斉ヒーリングについて追記です。

一親等まで(両親、子供、配偶者)まででしたら、ご家族の方も大丈夫ですので、

よろしければ、お申し込みくださいね。

ヒーリング終了後、なにかしら、感想を送ってくださる方を対象としておりますので、

どうぞ、宜しくお願い致します。

たくさんの、たくさんのかたが、平和にお過ごしになれますように。

心をこめて

合掌




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 一斉エネルギーワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月26日

元旦の新月 無償一斉遠隔ヒーリング


元旦の新月 無償一斉遠隔ヒーリング
「暴力的な思いと苛立ち」のヒーリング




今度の新月は2014.1.1元旦の、時刻が新年と同じ 20:14です。

素晴らしい年の幕開け。



わたしたちは、社会の中、人間関係の中で、与え、与えられ、喜び、悲しみ、引き寄せては、離れ、人生を学んでいきます。

人と人の中にいる自分自身をみつめて、自分が嫌になったり、他人が嫌いになったり、誰かを責めたり、自分を責めたり、絶対に許せない他人がいたり、自分自身を許せなかったり。

「世界は自分の内側の合わせ鏡」

自分自身の目で見る「外界」を通して、自分の「内界」を学んでいくのですね。



現在、インドで修行・巡礼中のわたし。

今回のインドでのテーマは、とことん、「非暴力と世界平和」です。

どこの聖地に行っても、わたしに対するメッセージは、同じものを受け取ります。

この悠久の流れの象徴であるかのようなガンジス河の、その女神に、学びをいただく貴重な時間の中で、私の中で、爆発的な何かが起こり、そして、解放されました。

いくつかの封印が解かれ、わたしはまた、広がりました。

その封印は「暴力的な思いと苛立ち」について。

私の中にトラウマティックなまでに、こびりついていた一部分は、私の中で、昔々、おそらく、今生きている人生よりも、もっともっと以前から、持ち続けていたものであり、

この聖地で、起こるべくして起こった、あるきっかけの出来事から、

誰から教えられるでもなく、わたしは、深い深い部分で、突如として目覚め、根深かった恐れから解放されました。

それは、この聖地での、ガンジス河の女神の愛が起こしてくださったのだと思います。



これまで、その「恐れ」から来る、怒りと、深い悲しみは、とてもつらく、苦しく、わたしを痛めましたが、こんな私をも、果てしなく果てしなく受容する大きな愛に包まれていることに、突如気づき、

崩壊的なまでに、解放が始まり、涙が止めどもなくあふれ、嗚咽がとまりませんでした。

その「暴力的な思いと苛立ち」の恐れの封印が、わたしの高次元の部分でほどけたのが、はっきりとわかりました。

その後、一日かけて、ゆっくりと、ゆっくりと、わたしの高次元は変化を続け、見るもの、接する人々が、変化して感じます。

そして、開いたこの封印は、わたしの学びとなり、その学びは光となり、かけがえのない宝となり、癒しのエネルギーとして、私自身の一部となったのです。



元旦 新月の日。

この尊い学びの喜びと、新しい年の「非暴力と世界平和」に向けて、無償一斉遠隔ヒーリングを行います。

元旦の新月という素晴らしい瞬間に間に合って、よかった。

インドで移動していったいくつもの聖地、一箇所一箇所で起こった出来事すべてが、この封印の解放に繋がりました。

すごいです。 すべては、天が図ったかのように、完璧なまでに起こりました。

なんて、ありがたいんだろう。 

そしてわたしのこの、魂の喜びとともに、世界平和に貢献できるこの素晴らしいヒーリングを、無償で行えるだけの強さと、広さを持てたことに感謝いたします。

この一斉遠隔ヒーリングは、ネパールの聖地にて行われる予定です。

それって、とっても、素敵でしょう?

どうぞ、聖地からのヒーリングをお受け取りください。

2014年が、「暴力的な思いと苛立ち」(それは、人間誰しも持つもの)から学ぶことができ、穏やかで、平和的な年になり、さらなる、皆様の魂の向上とともに、日本が、そして世界が愛に包まれますように。




●参考までに、こんな問題に:

・人間関係がどうしてもうまくいかない。
・どうやったら、人に心を開けるのかわからない。
・小さなことですぐに怒ってしまい、火がついたように怒りがとまらなくなる。
・怒ってしまった自分に自己嫌悪に陥り、自分を許せなくなる。
・自分を許せなくて、自分に腹が立って、自虐的な気持ちになってしまう。
・人と接するときに、なぜか緊張して構えてしまう。
・職場の人々や家族に、イライラして仕方が無い。
・なぜかいつも、人から怒鳴られたり、嫌な態度をされる。
・「この人、大嫌い」と思う人が何人もいる。
・これから先の自分の将来が不安で仕方が無い。
・ホッとするひとときがなくて、気持ちが落ちてしまう。
・他人と一緒にいると、それが友人だとしても、とても疲れてしまう。
・時々、誰にも会いたくなくなり、引きこもりたくなる
・どこかに、逃げてしまいたい、と思うことがある。
・なんだかモヤモヤ、フラストレーションで、どうにかしたいのだけれど、もがいている。
・特に問題は無いのだけれど、ヒーリングを受けてみたい。
・よくわからないけれど、直感でピンと来た。

(お会いしたことあるかたはもちろん、お会いしたことのないかたもご参加いただけます)


※※ヒーリング終了後に、感想をお知らせくださる方を対象としております。※※



●無料一斉ヒーリングの日時:

2014年1月1日 0:01〜23:59


●申し込み方法:
HP( http://yukismyogaism.jimdo.com/ ) の「無償一斉ヒーリング」のページ、または、「お問い合わせ」のページからお申し込みいただくか、
または、わたしの連絡先をご存知のかたは直接メールをください。
また、携帯のかたは、HPからメッセージができないと思いますので、このブログのコメント欄に必要事項(下記参照)書き込みしてください。ブログへの書き込みは、公開されませんし、終了後削除しますのでご安心ください。


●必要事項:

フルネーム、生年月日、わたしとお会いしたことがあるかどうか、あるかたは、どこでお会いしたか。
なにか、メッセージがあれば、遠慮なくどうぞ。私専用のメールですのでご安心ください。慎んで拝読させていただきます。


●申し込み締め切り:
2013年12月30日 0:00まで


●当日の参加方法:
1/1は普段どおりにお過ごしになってください。とくに、時間を決めてなにかすることはありませんので、お正月をお楽しみになってください。
もしも時間が許せば、できるときに瞑想をしたり(新月の時間は20:14ですが、いつでもOKです)、自然の中に行って地球を感じてみてください。
お忙しくなければ、何度でも、わたしに意識を向けて「ヒーリングを受け取ります」と、心を開いて、リラックスしてみてください。
もし、お忙しくて瞑想する時間も、自然の中に行く時間も、わたしに意識を向ける時間もなかったとしても、ヒーリングはきちんと行われていますので大丈夫です。


●お詫び
大変申し訳ありませんが、この無償一斉遠隔ヒーリングにお申し込みいただきましたメールへのお返事はできませんので、ご了承くださいませ。
とはいえ、メッセージをお書きくださいましたメールは、もちろん、慎んで拝読させていただきまして、皆様へのヒーリングの参考にさせていただきますので、なにかありましたらお気軽にメッセージをどうぞ。
私専用のメールアドレスに届きますので、ご安心ください。


※※ヒーリング終了後に、感想をお知らせくださる方を対象としております。ぜひ、みなさまの感想をお聞かせください。わたしの学びとなりますので、どうぞ宜しくお願い致します※※

皆様の、お役に立てますように、心をこめてヒーリングさせていただきます。

合掌






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 一斉エネルギーワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月25日

クリスマスプレゼント




ヒンズー教で行うガンジス河の祈りは、お花やキャンドルを小さな小船に乗せて川に流します。

貧しい人々が、それをたくさん作って持ち、売り歩いています。

ガンジス河のほとりでお祈りを始めようとしていると、小さな少女が、お母さんと一緒にお花の小船を売りに来ました。

一個50ルピーと言われて、うわ、すごい高いな、と思ったけれど、(普通は5〜10ルピーくらい)少女がかわいかったので買いました。



そのお花の小船を流して、お祈りをしていると、今度は、少年がお花の小船を売りに近づいてきました。

もう、一個買ったから、いらないよ。 no money だよ。

と、何度言っても、何度言ってもしつこく、プリーズ、プリーズ、と言ってきます。

かわいそうだけれど、見ない振りをしてマントラを繰り返していたら、

その少年も一緒に、マントラを唱え始めました。

とても、かわいらしい。

少年は、お祈りが終わるまで、ずっと、近くに座っていました。



立ち去ろうとすると、「ギブミー サンタクロース」と言いました。

そう、今日は、クリスマスでした。

今日は、たくさんの物乞いの子供たちにクリスマスプレゼントをねだられました。

この寒いのに、ビーチサンダルで、セーター一枚の子供たち。

靴をかってくれとか、そのジャケットをちょうだいとか、ストールをくれとか、

いろんな子供たちに、何度も、せがまれます。

正直、困りますし、かわいそうだし、買ってあげないことに罪悪感だけれど、

ひとりだけに買ってあげるわけにもいかず。

仕方が無いです。お金ないです、ごめんね。ごめんね。



「今日はクリスマスだから、プレゼントちょうだい」と、

靴をねだった少年に、靴はないけれど、ブッダのステッカーをあげました。

少年は、とってもとっても、嬉しそうににっこりと笑って、そのステッカーを、持っていたカゴの中央に置きました。

頭をなでなでしてあげたら、嬉しそうにはにかんで、撫でられた頭を、かいていました。



そのあとも、5〜6人の子供たちに、頭なでなで、ほっぺたプニョプニョしてあげたら、とても嬉しそうでした

インドの物売りの子供たちは発育が悪いみたいで、見た目が7歳くらいでも、実は12歳くらいだったりする。

あの子達は、両親がいないのかなぁ。

大人たちに、使われて、働かされているのかなぁ。

抱きしめられることも、ないんだろうなぁ。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝のガンジス河の祈り




朝日の時間。

早朝はとても寒いのでダウンジャケットとニット帽に、中にはフリースとタイツという姿で、

ガンジス河と、真正面に向き合いました。

この、ゆるやかな流れを見ながら、大切な人たちを想い、祈りました。

この聖なる河で祈ると、世界に繋がると信じ、世界の平和を祈りました。



お香をたいて、マントラを唱えていると、頭上に、鳥がたくさん集まって来ました。

無数の鳥たちは、それぞれ、あちらこちらに向かって飛びながら、旋回して、頭上に留まっています。

ほうぼうに飛ぶ鳥たちは、無秩序に見えて、彼らなりの秩序があるのでしょうね。

地球は、完全な宇宙のリズムで動いています。



目を閉じて、心をこめて、地球に向けて、バジャン(ヨガの神聖な歌)を歌います。

ここ、リシケシはシヴァ神の聖地なので、シヴァのバジャン。

ゆっくりと、そして、伸びやかに歌うと、ガンジス河の神が、しっとりと聞いてくれているようです。

近くに座っていたインドの女性も、目を閉じて聞いてくださっています。



とても、気持ちがよくて、目を閉じて、ずっとこうしていたい気持ちでした。

地球は、なんて、愛に満たされているのだろう。

わたしは、なんて、ちっぽけなのだろう。

吐く息は白く、とても寒い朝でしたが、その分、冷たい頬に、暖かい太陽の恩恵をありがたく感じました。


(写真は、帰国したらアップします!)




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月23日

RISHKESH




突然!

リシケシが、私を呼びました。

だから、来ちゃいました。

とはいえ、14時間近いバスの移動は、きつかった〜。

しかも、一番後ろの席しか空いていなくて、リクライニングがまったくできない席。

そして、日本の高速バスのような立派なバスではなく、窓がきちんと閉まらないような、オンボオバス。

しかも、日本の道と違って、山道クネクネ登っていき、舗装されていない道を、ゴンゴン、登るので、

バスが、ジャンピング、ジャンピング、飛び跳ねながらの移動です。

座っているお尻が、本気で、15cmくらいは、飛びます。

ジェットコースターの14時間ですよ!

いやー、きつかった。

もう、落ち着くべき年齢だっていうのに〜〜、体力も限界でした。



リシケシは、ヨガの聖地。

8年前に、初めて訪れたときよりも、かなり、観光地化していてがっかりです。

ヨガブームだからね。

今回で、4回目の巡礼。

ガンジス川が、とても心地よい。

わたしは、ここに、祈るために来ました。



わたしの夢は「世界平和」。

真剣に真剣に、そう思っている。

自分のカルマの清算だとか、エゴの浄化だとか、将来がうまくいくようにだとか、人間関係円滑にとか、うんぬん、

もう、そういう「個人的な枠」は、いいの。越えたいの。

「三次元のわたし」のチマチマした問題は、もう、どちらかというと、興味が薄いの。

わたしは、「世界平和」のために、地球のために、なにができるのか。

それには、どうするのか。真剣に求めている。



明日は、ガンジス川のほとりで、しっかり祈ろう。

リシケシ、呼んでくれて、ありがとう。

ただいま、ガンガー。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月22日

今日のお言葉(失敗とは)


失敗を気にするな。

それは自然なことだ。

失敗、それは人生の美だ。



失敗のない人生など

ありえない。

もがき苦しむことがなければ

人生に意味はない。



詩もなくなってしまうだろう。

苦しみや間違いを気に病むな。

私は牛が嘘をつくのを聞いたことがない。

牛はただの牛であって、

人間ではないのだ。



だからこれらの失敗や小さな後退を

気にするな。

千回でも理想を掲げよ。

そして、もし千回失敗したら、

さらにもう一度チャレンジせよ。


スワミ・ヴィヴェーカナンダ



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ハートに共鳴する「お言葉集」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月21日

FREE TIBET



ここ、ダラムサラは、ダライラマがチベットから亡命してきた場所。

そして、たくさんのチベット難民たちが亡命して来ている場所。



ミュージアムや、街角にある看板には、本当に、痛ましい、悲惨で、残虐、むごたらしい、

殺戮や、拷問、虐待、暴力の記事が掲げられています。

それをみて、わたしはなんて無知だったんだろう、と泣きました。

こんなに、恐ろしい殺戮が、世界で起こっているということに、泣きました。

悲惨にも、まるで、人間とは思えない拷問をされているということに、泣きました。

小さな子供たちへの、むごたらしい虐待に、泣きました。

政府に対しての反抗と、世界に対してのアピールのための、焼身自殺。

2013年12月3日現在で、123名が、街角で焼身自殺をしています。

その、動いている映像と、写真と、亡くなった方々のポートレイトを見て、泣きました。

そのかたがたの、残していった言葉を見て、泣きました。

5000Mを越える、雪山のヒマラヤを越えて、亡命してきたかたがたの映像を見て、泣きました。

凍傷で、両足を切断して、泣いている子供の写真を見て、泣きました。

何万人も逃げてきているけれど、インドにたどり着くのはたったの数百人だという事実を見て、たどり着かないかたがたは、国境で撃ち殺されているという事実を見て、泣きました。



インターネット上に、詳しいことを書くと、ここに住む難民の方々にご迷惑がかかる(とても悲惨で、むごたらしい迷惑)ので、書けませんし、今後、人物の写真も載せることができません。

帰国したら、口頭で、たくさんのかたに伝えていきたいです。

日本にいたら、わからない事実です。

日本では、詳しく報道されませんから。

でも、知るべきです。

事実を知るべきです。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Dharamsala


南インドにいましたが、ビューーーーーン、と北インドに飛んできました。

ダラムサラという、ダライラマの本拠地の場所。

とても寒くて、ブルブル、です。

貧乏旅行なので、自分のものは何も買わないぞ!と心に誓っていたけれど、(生徒さんたちにお譲りするものと、ヒーリング用の道具や、アシュラム用品以外)

この寒さに負けて、防寒具を一着、買ってしまいました。



南インドでは、Tシャツに薄いアリババパンツにサンダルでOKだったのに、

ダラムサラでは、Tシャツ、ヒートテックのハイネックシャツ、セーター、フリース、ダウンジャケット、ニット帽、タイツ、靴下、綿のズボン、レッグウォーマー、マフラー、という姿。

こんなに寒いと思わなかった〜〜〜〜。



ここはインドとはいえ、チベットを亡命してきた方々がたくさんいらっしゃいますので、

日本人と似たような顔の方ばかりで、かなり、ホッとします。

そして、

インドの、あの、ラジャシックな街中の雰囲気・・・・大声で叫びながらケンカ腰に喋る、無愛想極まりない、顔が濃くて目つきが怖い上に、ガン見してくる、車がプープーうるさすぎる、などなど、きりがないですが・・・・

その、緊張感なしでは過ごせないという、インドの雰囲気に比べて、このダラムサラは、とても、おっとりとのんびりとしていて、すごく、ホッとします。

たまには、必要です。こういう、「ホッ」、の感じ。 インドって、疲れるから。



そして、ここは、夏は、観光地なんでしょうね。

いまは、寒くて、あまり観光客がいないですけど。

おしゃれなカフェが、た〜〜〜〜くさん、あるのです。

ほんと、歩くと、カフェだらけ。

西洋人の観光客が多いのでしょうね。

入ってみると、まるで、

下北沢のカフェのような、手作り感がある、こぢんまりしているけれど、まったりできて、居心地が良い・・・・という感じの、おしゃれなお店が多いのです。

または、ゴミゴミした狭い空間を上手に利用した、中目黒のモスバーガー、みたいな感じだったり、

このインドで、意外にも、ちょっと素敵空間なのです。

チベットのお坊さんも、カフェで毎日、お茶してましたよ。



ダライラマさんはいま、南インドに行っていて留守でした。

次期ダライラマの、カルマッパさんも、ブッダガヤに行っていて留守でした。

わたしは、それを知っていて、ここに来ました。

お二人にお会いしたくて来たわけではないので。



ダラムサラは、最初は、旅の予定には入っていませんでした。

でも、旅の途中でチベットの方と知り合いになり、そのかたにダラムサラをお勧めされたあと、

立て続けに、おそらく・・・・・8人くらいの人に、ダラムサラを、お勧めされました。

今回、インド12回目で、こんなことは初めてのことだったので、

この、流れに従って、ダラムサラに飛んできました。

ちょうど、図ったように、会う予定だったインドの友人と会えなくなり、行くはずだった場所がキャンセルになたので、本当に、図ったように、ぴったりと、ちょうどグッドタイミングでした。

ふふ。 わたしの、魂が導いたのですね。












posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月20日

何も持たない人生は、失う恐れの無い人生



旅はいつも、素敵な人々との出会いも、ワクワクします。

今回も、素晴らしい出会いの連続です。

インドに来るたびに、起こる出来事、気づき、導かれる方向、出会う人々の神聖さが、回を増すごとにグレードアップしています。



聖地で出会ったアメリカ人の男性は、23年間、ただ、瞑想のみをして、世界の導かれるところに旅をしているそう。

いま61歳で、若いころ、大きな会社の社長さんをしていたそうで(「プレジデント」と、彼は言っていましたが)、

超多忙で、心身ともに大変だったので、一年間、仕事をお休みする、ということで一時辞めるつもりだったのですが、それ以降、二度と戻らなかったそう。

そして、それ以来、なんの仕事もしていないのだそう。

そう聞くと、常識人、現代人は、「プー太郎」とか、「ヒッピー」とか、ジャッジしてしまうのかもしれませんね。

でも、そうではなく、彼は、遊んで暮らしているわけではなくて、それからずっと、神の啓示に従って生きてるそう。

ですから、「聖者」ですね。

20年くらい前に、瞑想中に、チャクラが開き、宇宙へのゲートが大きく開いて、上へと上がり、

彼の言葉をそのまま通訳すると

「仏陀が入ってきて、僕の両腕をつかんで、ガクガク体を揺さぶったんだ。起きろー、スティーブン、目覚めろー!ってね。」

ユーモアあふれる彼は、彼なりに楽しく脚色して、ウインクしながらチャーミングに微笑んでいました。



仕事しないで、どうやってこの地球上で生きていけるのですか?と聞いたら、

「若いころに一生懸命働いた貯金で、とてもとても質素に暮らしているだけだよ」

と言う彼。

「家族もいない。妻も子供もいない。家も住所も無い。仕事もしていない。持っているものは何も無い。だから失うものも何も無い。思う存分、霊性の道を歩めるんだ。そして、それ以外のもの・・・お金も含めて・・・はなんにもいらないんだ。」

恐れがまったく、なにもない彼。

それは、なんにも、執着がないから。

「僕はサドゥ(行者)だよ。でも、普通の行者は、人間や自然から施しを受けるけれど、僕はATMから施しを受けるから、ATMサドゥと呼んでくれ。わはは」

とても、明るくて、冗談ばかり言って、そして、とてもとても、やさしく愛に溢れたおじさまでした。

本当に、本当に、いい人。

すごい人に出会っちゃったな。

本当に「すごい人」って、すごそうに見えないのです。

でも、実はすごい。

彼は仕事をしていなくてお家が無いけれど「ホームレス」なんて下衆な言葉で片付けるのではなくて、

わかる人にはわかる「神聖な人生」を生きているのです。

ただ、自由を求めて、やりたい放題しているヒッピーなどではなくて、本当に、神聖と繋がっていると、なにもいらなくなるのですね。

無執着・離欲を、努力なく楽しんでやっている。

ひとは「恐れ」から、目が曇っていく。

もともと、なにも持っていない、なににも執着していなければ、失う「恐れ」がないわけですね。

すごいなぁ。

こういうおかたと、出会う段階に来たんだなぁ、わたし。



今回の旅では、ほんとーーーに、いい人ばかりに出会います。

ブログには書いていないけれど、本当にたくさんの人々と出会っています。

行く先々、各所で、素敵な人々と知り合い、この先の人生に繋がっていくとてもよい出会いの連続です。

わたしのつながりが、インドに、世界に、どんどん、広がっていきます。









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月19日

聖者の洞窟




聖者ラマナマハリシが瞑想し、サマディーに達した聖なる山、アルナチャラを登りました。

登るといっても、登頂を目指すのではなくて、彼が瞑想していた洞窟まで行くプラン。

インド人の友人が言うには、「15分くらいだよ」ということでしたが、30分以上かかりました(笑)

シャキシャキ歩いていたのだけれど。

さすが、インドの人は、時間の感覚が適当です。いつものことですが。



この山は、無条件に心地がよい!!

いるだけで、穏やかな気持ちになります。

素晴らしい神聖な波動です。

眺めが、とーーーーーーっても素晴らしくて、心地よい風を浴びながら、景色のよい岩の上で瞑想をしました。

最高の気分で、もっとずっと、ここにいたい、と思いました。



ラマナマハリシが瞑想した洞窟は、いまは、小さな物置小屋のような建物になっていました。

大きな岩が建物の上に見えることから、当時はその岩の下にもぐりこんで座って瞑想に耽っていたのだろうと想像できます。

建物は、マハリシ死後、信者のために作られたのでしょうね。



一歩中に足を踏み入れたところから、すごい柔らかなエネルギーに包まれます。

まるで、蜂蜜の中にいるかのような、濃密で柔らかくて、愛にあふれた宇宙のエネルギーです。

洞窟の中に座らせてもらって、目を閉じると、もう、そこは、ここ(3次元)ではないかのようでした。

いや、きっと、すでに高次元だったのでしょう。

本当に、素敵な波動、エネルギー。

もっと、もっと、座っていたい。

彼は17年間、この洞窟で瞑想していたそう。



この土地は、とても強いご縁を感じます。

わたしの過去世から繋がる、強い、強い、ご縁です。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

カレー



(いつも、帰国してから、旅のレポートを書いているのですが、今回は、書かないつもりなので、インドにいるうちに、そして、インターネットがつながるところに滞在しているうちに、せっせと、旅の模様を綴っておくのだ!)



インドでは、やはりカレーです。

朝も、昼も、夜も、インド人はカレーを食べます。または、カレー味(マサラ)のもの。野菜炒めとか、スープとか。

右手の3本指を使って、上手に食べます。

とにかく、現地のものは辛いです。

「うへー、カラーイ!ヒー!」と言うと、「え?これで辛いの?」といわれます。

日本人の舌と、インド人の舌は違うのね。

でも、辛いの食べた後は、不思議と甘いのが欲しくなって、ちょうど、あの、インドの甘すぎるチャイがちょうどいいんですよね。

日本でこのチャイを飲んだら、甘すぎて気持ち悪いのだけれどね。



そうそう、

チャイも、最近では日本ではやっていて、いろんなスパイスが入っていますよね。

でも、本物のインドのチャイは、なんのスパイスも入っていない、ただのミルクティーなのです。

しかも、激甘のミルクティー。 底のほうは、甘くて飲みにくいほど。

日本に入ってくると、スパイスティーになるのは、なぜだろう?



インドのカレーは、日本のカレーと違って、結構、サラリとしています。

あと、日本にある、インド人やネパール人が経営しているカレーやさんは、相当脂っこいけれど、

インドの本場のカレーは、あそこまで、濃くないです。

あ、でも、高級レストランに行くと、きっと、こってりしているのかも。

わたしは、安いところしかいかない(行けれない笑)のです。



でも、実はわたしは、できるだけ、ナッツや、ドライフルーツ、フレッシュフルーツを食べて生きています。

カレーは、一日、一食くらいかな。または、食べないときも多いかな。

ナッツや、ドライフルーツは、高いので、安いカレー定食を食べたほうが、お財布は安心なのだけれどね〜。

カレーはすきなのだけれど、こちらでカレーを食べると、神経がラジャシックになるので、控えています。

ラジャスな状態では、瞑想するのが難しくなるから。

それと、安いカレーやさんで食べると、痰がからんでしかたがない。

あまり、良い油を使っていないんだろうなー、と感じます。



今回のインドでは不思議なことに、ぜんぜん、お腹がすかなくて、

食べたいという食欲は無いのだけれど、無理やり食べてる、という感じです。

食べなくても、プラーナで満たされているのかな。







posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

満月の祈りのウォーキング



このアルナチャラの山は、毎月、満月の祈りの儀式があります。

満月の前日から、一日、巡礼者は祈りながら山の周りを歩きます。

今月12月は、12/16 13:20から、12/17 14:59までのあいだ、好きなようにスタートして、好きなときに終われる、祈りのウォーキングを毎月行っています。

何度もこの聖地には巡礼させていただいていたのですが、いつも、満月を逃していたので、今回、偶然にも、滞在が満月に当たって、本当に嬉しい!

しかも、本当は、違う日程で訪れる予定だったのですが、いろいろトラブルがあって、日程がずれて、ちょうど満月の日になりました。

アルナチャラの聖なる山は、それほど大きくないので、外周を一周ぐるっとまわっても、14kmほどです。

車が通る、普通の舗装されている道ですし、歩きやすいところを、普通は裸足で歩きます。

慣れないと、裸足に小石や、砂利が、結構痛いです。

それどころか、牛の糞や、人間のおしっこや、おじさんの吐いた痰などもあるので、気をつけないと、です。

そして、次から次へとやってくる、物乞いの人たちをすり抜けて、しつこい物売りのおじさんをすり抜けて、のんびり歩く牛を避けながら行きます。

次々とやってくる障害物を、上手に乗り越えていく、ロールプレイングゲームのようです。はは。



わたしは、歩きながら、ずっとマントラを唱えていました。

一周14kmの距離のあいだ、いくつもの(20個くらいかなぁ?)小さなリンガム(聖なる象徴)や、小さな祠みたいなテンプルがあり、そこに、ひとつひとつ、お参りしていきます。

アルナチャラは、5エレメンツ(土、水、火、風、空)の中では、火の聖地ですので、いたるところで火がたかれています。

その火に、小さな蝋のようなもの(名前忘れました。よくホーマで使います。私のアシュラムにお越しになっているかたは、火を炊くときに使いますので見たことありますね)

を、炎の中に投げ入れて、その火のエネルギーを頭、眉間、のど、などに広げます。

わたしは今回のこの祈りの儀式では、「世界の非暴力」を祈りました。

それにはまず、一番近い存在である、「三次元のわたし」の「暴力的な感情=エゴ」を焼き尽くすよう、

自分自身に向かっての「誓い」にも似た祈りを行いました。

どうぞ、わたしのなかの、暴力的な想い、感情、仕草、行動などが起こらないように、「わたし」のエゴが焼き尽くされますように。

そこから発生する平和的な波動が、世界に広がりますように。

そして、世界中のすべての人々の、暴力的な想い、感情、行動がなくなり、平和が広がりますように。



「火」は、とてもパワフルな存在です。

闇に明かりを灯すことができ、寒さに暖を作ることができ、生きるために食べるものを料理することができ、沸騰させ消毒することができ、なおかつ、人に分け与えても減ることが無い。そして、下へ向けても、上へ、上へと向かっていく。

インドでは、祭壇に、必ずずっと火を灯しています。(甲府の我がアシュラムでもそうですね)

家庭では、少なくとも、朝起きて、すぐに火を灯します。

それは、自己の「igunorence・無知・エゴ・マーヤ」をこの火で焼き、明るく照らしてくれるように、という意味。

エゴでガチガチに固まって、視界が濁ってしまっているわたしを、クリアに、広々としてくれますように。




満月の祈りのウォーキングは、午後から始め、日没後まで歩きました。

ものすごいたくさんの人々が歩いていました。(写真は帰国してからアップできます)

ある種、お祭りのようですね。

日本でも、お寺などでお祭りがありますよね。

でも、日本では、お祭りに行っても、あまり信仰心があるかたは少ないのかな。

屋台とか、出店とか、イベントを楽しむ感じかな?

インドでは、一直線に、神様への信仰心=ワンネス=世界平和、のために、楽しんでいます。

とても、素敵です。

インド中から集まる何万人、何千万人の人間たちが、ただひとつの目的「祈り」のために集まってくる。

なんて、神聖で、尊い思いなんだろう。

すごいなぁ。

インドは、この、深い深い、スピリチュアリティが素晴らしい。

だから、わたしは好きなのです。

インドに来てなにがしたいかというと、まず一番は、「祈り・瞑想」です。



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月16日

聖者ラマナマハリシのアシュラム




Tiruvannamalaiという場所の、Arunachalaというところに移動してきました。

ここは、知る人ぞ知る、沈黙の聖者ラマナマハリシの地です。

彼はここで出家し、人生のほとんどをここで過ごし、たくさんの信者が訪れた場所です。

アルナチャラというのは山の名前で、山自体にとても強いエネルギーがあり、彼は、この山にこもって瞑想をしていたそうです。

この地に、ラマナマハリシのアシュラムがあります。

山の洞窟から出てきた彼が、晩年を過ごし、サマディーを迎えた場所です。



アシュラムには、テンプルや、ホールや、瞑想ルームなどがあります。

有名な聖者のアシュラムですが、少し小さめのアシュラムです。

信者さんたちはとても穏やかで、とても熱心です。

この地の波動が、大大大ダーイスキです!

人間も、物乞いも、犬も、牛も、サルも、クジャクも、みーんな、愛に満ちていて、とても穏やかです。

インドに来るときは、チャンスがあればできるだけ訪れるところで、過去にも数回巡礼させていただいています。



ラマナアシュラムのサマディーホールは、亡くなったあとのラマナマハリシの遺体を地下に葬ったうえに建てられています。

その事実を知る前から、わたしは、ここが、「なんか、すごいぞ!ここは!」と感じていました。

なーーんて言えばいいんだろう。 うまく説明ができない。

いろいろな聖地に行き、聖者のアシュラムに巡礼させていただいていますが、

わたしが感じると、それぞれ、聖地によってエネルギーの質が違うのです。

ここは、一言で言うと・・・・うーん・・・ひとことで言えないけど(笑)「宇宙」。

本当に、宇宙のギャラクシーのきらめきを感じますし、深く、広く、高次元が大きく反応します。



このラマナアシュラムでの瞑想が、わたし的には、インドの中でベストワンです。

ここでは、とっても、素晴らしい瞑想ができるのです。

今日も、本当によかった。

ほんとーうに、素晴らしい瞑想だった!

また、ここに戻ってこれて、幸せです。

本当に、シアワセ!

ちなみに、我が天空の森アシュラムでする瞑想が、日本の中ではベストワンです!ふふ。



この素晴らしいエネルギーの地に、ヨガ&ヒーリングスタジオが開けたらいいなぁ。

と、夢見ています。




posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母の乳房と愛情



前回の記事の僧侶のお上人さんのご縁で、インドの孤児院を訪問させていただきました。

あいにく、子供たちは勉強に出ていて、半分しかいなかったのですが、

休み時間に戻ってきて、恥ずかしそうに、わたしたちと交流しました。



子供たちはみな、孤児で、両親がいません。

どういう事情で孤児になったのかは聞いていません。

おそらく、日本人のわたしには想像もつかない理由であったり、悲しい出来事であったりするのでしょう。

きっと、発展途上国でカーストの名残がまだ残るインドでは、日本の孤児たちとは、事情が違うのだと思います。



子供たちの笑顔は、本当に天使ですね。

子供たちに、こちらも、心が柔らかくなる。

天使の魔法です。

でも、やっぱり、無邪気さが足りないのは、どことなく、悲しみを押し殺している「影」があるからでしょうか。

本当に、せつないです。

いつか、わたしが、お金持ちになったなら、孤児院のような施設を作りたいな。

宝くじ、当たらないかな(笑) いまだかつて、買ったことないけど、宝くじ。(笑)



孤児院に男性が、バケツを持ってやってきました。

向かいの原っぱには牛がいて、その牛のお乳をとりに来たようです。

男性は、乳牛を木に縛り付けて、動けないように、後ろ足も縛りました。

「こうしないと、暴れるんだよこの牛は」

そう男性はおっしゃっていました。

わたしは悲しくなりました。

暴れるほど、嫌なんだね、牛さん。ごめんね、わたしたち人間が、勝手にあなたの大切な体の一部を、強引に奪っていって・・・・・。



突然、子牛が跳ねて、駆け寄ってきました。

母牛が縛られて、乳を搾られるのを見て、縄を力ずくでほどいて駆けてきたのです。

子牛は、おもむろに、母牛の乳首に吸い付き、夢中になってお乳を吸いました。

周りにいた人間たちは、子牛を引っ張って引き剥がそうとしますが、子牛は力強くて、なかなか動きません。

一心不乱に、目をまん丸にして、必死にお乳に吸い付きます。

男性たちが、子牛をひきはがして、母牛の近くの木に縄でつなぎました。

男性が、母牛の乳をしぼるのを、子牛は、首をねじって、その光景を凝視していました。

その子牛を、母牛が頬ずりし、ペロペロと、まるでなだめるように愛撫していました。

「息子よ。お前のためのお乳なのだけれど、人間は強引に盗んでいくものなのだよ。でも、仕方がないのよ。息子よ。忍耐しておくれ。あなたのためのお乳なのだけれど、人間が取っていく・・・・というのが、生きていくためのシステムなのだよ。忍耐しておくれ」

まるで、そんな感じ。

子牛は、とても悲しそうに、縄につながれた首をねじって、ギリギリ届く母牛の鼻先に顔を近づけ、頬ずりします。



わたしは、とても悲しくなりました。

せめて、せめて、

子牛にお乳を飲ませてあげて、そのあとに、人間が絞ったら、だめなのか?

子供は、お母さんの乳房が必要なのに。

人間だって、お母さんの乳房に吸い付くことで、愛情を学んでいくというのに。

母牛と子牛の光景は、とても悲しくて、胸が痛かったです。



孤児院のこどもたちは、どんな気持ちで、毎日、この光景を見ているのだろう?

孤児院の子供たちは、母の乳房もなく、悲しくて頬ずりする母の存在もなく、

どのようにして、「愛情」を学んで生きているのだろう。

とてもせつなく、無力な自分を感じました。

子牛の悲しそうな顔が、目に焼きついています。

わたしたち人間は、たとえ、動物とはいえ、親子の愛を引き裂く、権利があるのだろうか?









posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

世界平和と非暴力



ご縁がありまして、マドゥライ中心から170km南にいった、サンカランコービルという、小さな村にある、日本の仏教のお寺に、数日間、お世話になりました。

そちらで、本当に、素晴らしい体験をたくさんさせていただきました。



そこのお寺のご住職は72歳の高齢のかたなのですが、インドに来て30年、インドの前にスリランカにずっといたので、海外滞在はもっと長いそうです。

スリランカの内紛を収めようと、爆弾や、銃弾の流れ弾が飛び交う町を、平和を祈りながら、歩き続けていたかたです。

テロリストと政府軍が、銃撃戦をしている場所に、恐れずに出向き、平和を祈り、マントラを唱え続けて、テロリストを退散させたり、

ときには、テロリストたちに、理不尽な理由で拉致されて、頭に銃を突きつけられたときもあり、そのときも、そのテロリストのかたの内なる神を信じ、一心に非暴力を祈り続けて、2時間くらいも祈ったあと、目を開けたらテロリストはいなくなっていたという経験があったり、

もう、それはそれは、すさまじい人生を歩んでいらっしゃる方です。

命をかけて、真剣に世界平和と非暴力を祈ってらっしゃる方です。

まるで、マハトマガンディーです。

見た目も、じつは、そっくりなのです。



30年前にインドに移ってからも、一文無しで、毎日毎日、祈り歩いていたそう。

マドゥライのマハトマガンディー記念館の敷地内で、7日間の断食をして祈り続けていたのがご縁で、国営のその場所に、小さな道場を作るご縁となったそうです。

インドを縦断する平和行進を、何ヶ月もかかって行ったり、

町中を毎日、祈り、唱え、太鼓をたたきながら歩いていたことで、様々な、偉い方から招かれ、ご縁ができたり、

マハトマガンディーの唯一の遺灰が残っている場所に、自ら、お墓を建立したり、

そんな、本当に、一直線の信仰の人生を送っている方です。
 


僧侶の流派は、真剣に「非暴力」を祈り、日々、厳しいご修行に励まれる流派です。

時には、精神修行と、信仰の強さを増すために、焼身修行(自分の腕を焼く)もされます。

水も飲まない断食は、毎月3日間行い、断食中は早朝から夕方まで、永遠にお経を読み続け、平和を祈り続けます。

年に一回、一週間の断食をして、祈り、唱え、太鼓を打ち続けます。

本当に、すごいです。

こうやって、命を懸けて祈ってくださる方々がいらっしゃるからこそ、宇宙の秩序が保たれているのだと、本当に感じます。



そんなことしてはいけないのですが、日本のお坊さんと比べてしまいます。

この目で「本物」を見てしまうと、日本との違いに、とてもがっかりしてしまいます。

すみません。そう言うと失礼ですね。



そのお寺は、お寺とはいえ、まったく収入がありません。

お墓などはないですし、インドでは法事などもありません。

完全なる無収入で、30年以上も生きてきたそうです。

日本の素人の感覚で考えると、お寺は「お葬式をする場所」「お墓を管理する場所」という感じがするのですが、

本来のお寺の役割は、「霊性修行をする場所」「世界平和を祈る場所」であると、再認識しました。



その僧侶とご縁がありまして、南インドのマドゥライの町を、小さな太鼓を叩きながら、マントラを唱え、祈り、歩き回りました。

本当に、歩いていくそのまわりに、お経の波動が広がって、土地が浄化していくようでした。

人々は、私たちに両手をあわせます。

信仰心は、言葉も、国籍も、すべてを越えます。

真剣に、本気で祈るものには、なにも怖いものがないのです。

死ぬことすら恐れない僧侶は、とことん腹が据わっていて、本当にかっこいいです。

本気で、世界の平和と、非暴力を、祈り続ける姿は、感動で涙が出てきます。



雑誌にも、新聞にも、何度も、取材されたそう。

今回も、祈り歩くわたしたちの姿をみて、テレビ局が突然取材に来ました。

わたしは、お坊さんではないけれど、ちゃっかり、テレビデビューしました(笑)



うまく、言葉にできないのですが。

こんなふうに、真剣に、まっすぐに、生きたいと、

強く心に思いました。

僧侶のかたとお会いし、その、心動かされる強烈な人生をお聞きして、

心が正され、晴れ晴れと、すっきりと、かげりがなくなったような気がします。

わたしも、まっすぐに、生きていこう。


本当に、素晴らしい出会いに、心から感謝いたします。

来年、また訪問させていただきたいです。

建設中の仏舎利塔の工事を、ボランティア(カルマヨーガ)で手伝ってくださるかた、いらっしゃいましたら、一緒に行きませんか?

今後、何百年も、千年も、二千年も、歴史に残る建立物を、その手で、積み重ねてみませんか?

わたしは、レンガをひとつひとつ積みながら、本当にありがたくて感動しました。

よいカルマを積み、人生の視野が広がりると思いますよ。











posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 22:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

チャイルズポーズ



南インドのシヴァナンダヨガアシュラムにて。

アーサナのクラスに参加していたときのこと。

チャイルズポーズ(子供のポーズ、わかります?わたしがよくお休みで使うポーズです。正座のポジションから、お腹を腿に、おでこを床につけて、両手を足首の横に沿わせます)

をしていたとき、思い出しました。



ヨーガ指導歴、えーと、たぶんいま、12年くらいかな、わたし。(2013年現在)

ヨーガより前に様々な指導者という立場にいましたから、それを含めると指導歴という意味では16年!くらいです。

早いなぁ、あれから16年か。

昔むかーし、まだ、ヨガティーチャーではないたころ、初めてヨガクラスに参加したときのこと。

チャイルズポーズをしていて、インストラクターから「すべてリラックスして」と言われ、

あの姿勢で体を脱力したときの、心地よさ!! 

あのときは、「脱力する」ということに感動して、ホッとして、涙がホロッと出てきたっけ。



当時の私は、フィットネストレーナー、エアロビ・ダンス・キックボクシングインストラクターなどをして、バリバリ動いていました。

今の私からは、全然、想像つかないでしょ?(笑

行列ができる、人気インストラクターでした(笑)はは。

いつでも、人から見られる華やかな仕事で、肌を露出するので、常に、プロポーションをキープしていなければいけない状態で、

いわば、外側からみた自分にいつも囚われていたんですね。

見た目の美しさを要求される仕事でしたから。

内側に目を向ける、ヨーガとは正反対の仕事をしていました。

そして、常に、寝ているとき以外は、ダンスのコリオグラフィーを、頭の中で組み立てていました。

体も、こころも、脱力することなんて、なかったんでしょうね、当時は。

結構、筋肉質で、綺麗なプロポーションをしていたので、ヌードの写真を撮らせてくれませんか?と真剣にお願いされたこともあります。(2回も!)

でもね、いつも、どこか、怪我をしていました。

捻挫したり、腰のヘルニアになったり、肩がだめになって腕が上がらなくなったり、首が回らなくなったり、股関節が痛かったり・・・・・。

いつも、どこか、痛かくて、毎日、テーピングしながら仕事していたな、あのころ。

健康的な体の「見た目」とは反対に、実は、とても苦しかったな。



初めてヨーガクラスに参加して、ポーズするのも、見た目の綺麗さばかりを追いかけていて、ずっと力が入っていたんだろうなぁ。

チャイルズポーズで「脱力して」と教えていただいて、

「ああ、そうなんだ、脱力してもいいんだ」と思ったら、とても楽になったなぁ。

「両腕の力を抜いて、上半身の重みを受け止めて、首の力を抜いて、頭の重みを感じて、いらない力がどんどん抜けていきます」

と、言われて、そのとおりにしたら、ああ、なんて、ホッとするんだろう、と思ったなぁ。

胸の奥から、何かがじんわりと染み出てきて、気持ちが柔らかくなって、涙がポロリと出てきたの、そのとき。

よっぽど私は、緊張した生活をすごしていたんだな、きっと。

毎日のように、筋トレして、踊って、体が怪我して悲鳴を上げていても、動き続けていて、

頭の中は、コリオグラフィーでいっぱいで、いつでも、フル回転だった。

がんばっていたんだなぁ、わたし、あのころ。

頭も、体も、もう、めいっぱいだった。



そのころ、

体の使いすぎで、体が疲労しすぎていて、咳をしたら肋骨が自然に折れてしまって、

でも、コルセットしながら、踊り続けて、インストラクターし続けていたっけ。

痛かったなぁ、つらかったなぁ、あのとき。相当、痛かったなぁ。

息をするのも痛かったのに、がんばって踊ったり、トレーニング指導したり、ピラティスデモンストレーション、パワーヨガもしたりしてたもんな。

休めばよかったのに、休むことができなかったんだな、そのころのわたしは。

止まることが、怖かったんだろうな。

結局、肋骨の疲労骨折はなかなか直らなくて半年ぐらいかかって、やっと、痛みなく、動けるようななった記憶がある。

若かったからなぁ、わたし。



ヨーガを始めて、本当によかった。

当時の、バリバリに筋肉を鍛えていたときよりも、いまのわたしの体のラインは、結構緩やかに、ふくよかになったけれど、

怪我はまったくないし、体調も最高によいし、心がとっても素晴らしいし、

健康そのもの!を、すべてで表している。

なにより、小さな枠に囚われず、大きな宇宙的レベルで自分を感じられるようになって、

「ワンネス」が、なんて、素敵なんだろう。

愛が、溢れて、まわりのすべてを覆い包んでいくことで、

わたしも、こんなにも満たされる。



わたしにとって、「ヨーガ」の第一歩は「チャイルズポーズ」で感動したこと。

そう、みんな、アーサナからヨーガに入門する。

わたしもそうでした。

でも、もっと、もっと、深いんです、ヨーガって。

もっと、もっと、みんなに、ヨーガの深さを知ってもらいたいな。

アーサナだけではない、「真髄のヨーガ」について、みなさんにもっと伝えていきたいな。

レクチャー的に、お堅く表現すると、

「瞑想の実践で、マインドがクリアになり、ピュアな真なるものとつながり、隠されていた純粋な知性が現れることで、エゴが減っていき、そして、魂の源からの叡智と繋がることで、ハッピーになるのです。」

それは、ブログでチョロット、教えられるものでは、ないと思う。



インドで、そんなことを感じました。

やっぱり、ヨーガはインドですよ。

アメリカのヨーガの資格も、もちろんわたしは持っていますが、いやいや、やっぱり、西洋のものではなく、東洋の思想ですよ。インドですよ。

この、インドの土地に根付いているスピリチュアリティーが、ガップリ、ヨーガとリンクします。

私にとってのヨーガは、インドの波動が根っこにあります。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 01:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

In Sivananda Yoga Ashram



In Sivananda Yoga Ashram


I am back home!

我が家のような、シヴァナンダヨガアシュラムに滞在しています。

本当に、好きです、ここは。

今日は、半日だけ自由な日で、町までやってきました。

毎日、カルマヨーガをさせていただいています。

アシュラムの敷地の草むしり・・・・・というか、茂りまくった長い草を、鋤で、ガツガツ、掘り起こしています。

土の匂いと、草の匂い、ハーブの匂い、地球との交わり、です。

とても、楽しいです。



もちろん、アーサナも、瞑想もしています。

日本では、なかなか、他人のガイドでアーサナすることがないので、ここではとても集中できて嬉しいです。

肉体に、感謝しながら、日ごろ、自分の肉体に冷酷なので、いま取り戻しています。



いま、アシュラムではティーチャーズトレーニングが行われていて、わたしのカルマヨーガは、そのお手伝いもありますし、

わたしの個人的なカルマヨーガは、ここに滞在する生徒さんたちのケアかな、と感じています。

毎日、肉体も、精神も、かなりハードなティーチャーズトレーニングの期間、ポジティブシンキングになるための、お手伝いだと思っています。

インドでは、どこにいっても日本人とご縁があります。

日本人との出会いから、わたしの「カルマヨーガ」がしっかりと確立されていきます。

インドにご縁があって、引き寄せられた日本人のかたがたの、魂の向上のお手伝いができるよう、

いつも、陰ながら、お仕事させていただいています。



寒いところから、いきなり、暑いところに来たので、体調管理が難しいです。

ここにあと1週間いたら、また、寒い北へと移動します。

インド出発前に、生まれて初めて買ったダウンジャケット(ユニクロ!)を、脱いだり、着たりの繰り返し、の旅です。

ちょっと、大変です。 体に気をつけねばね。

今回のインドは、7週間の巡礼の旅なのですが、呼ばれる場所が結構多くて、何気に忙しかったりします。

私が行くことで、人々にとっても、土地の波動にとっても、なにかのお役に立てると嬉しいです。






posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

観音様の開眼儀式 in Nilgiris.



数日前のことです。



南インドのニルギリの山の中にて。

標高1800mの場所に、わたしのレイキの師匠がいらっしゃいます。

師匠の友人が、さらにもっと山の中に、新しいアシュラムを作りました。

その方は、神からいただいたメッセージの中で教えられた、ニルギリの山の中に、

ポッコリと、自然に現れていた、天然石のシヴァリンガム(聖なる象徴)を見つけ、そこにお堂をたて、祀りました。

神からの啓示に従って、突然、みつけられたり、寄贈されたりしたお像を祀って、敷地内にいくつものお寺を作っています。

新しく、森の中に観音様のお像を祀って小さなお堂を建立するため、

師匠からの要望で、わたしがいた、マハーアヴァターの聖地で、観音様のお像を探し、購入して運びました。



森の中にて、その観音様のお像の開眼の儀式(プージャ)を行いました。

建立の関係者数人だけが参列した、とても、濃密なスピリチュアルな時間でした。

観音様の開眼・・・・ということで、わたしと同行していた日本人の僧侶による、仏教のプージャでした。

おそらく、インド人のかたがたは、初めての体験でしょう。

お経が、森の中に響き渡り、太鼓が空気を強く振動させると、森の中が凛としてきました。

わたしたちは裸足で、森の土の上に立ち、お経と大地からの響きの共鳴が感じられました。



観音様のお像の目に、ガンジス河の聖水で印を書き、お経をこめると、

観音様の目が開いたと、僧侶がおっしゃっていました。

そして、儀式(プージャ)の前と、後では、観音様の顔が変化していました。



インドの、山の中で、とても貴重な経験をさせていただきました。

本当に素晴らしいご縁をいただきまして、師匠に心から感謝しています。

お会いするたびに、師匠のことを理解します。

というか、お会いするたびに、自分が師匠について、今まで、なにも理解していなかったことに気づいていきます。

師匠のおっしゃる言葉は、的確で図星で痛いところをストレートについてくるので、カチンと来て、そのときは受け入れられ無いこともあるのですが、

あとになって、「そうだよなぁ」としみじみ、わかってきます。



インドでの経験は、本当に、宝物です。





posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月03日

日本人として


そうですよね。
これだけ、インドが好きで、頻繁に行っていたなら、勘違いされますよね。
でも、皆さん。
わたしはインド人になりたいわけではないのです。
インドに永住したいわけではなのです。
しばらく住んで、学びたい気持ちは強いです。
でも、「住んでしまいたい」という言葉は、永住、ではないのですよ。「しばらく」なのです。

下記、3時間以上かけて、心をこめて書きましたので、読んでくださいませ。


********


はい。インドは「バクティ」という意味では非常に居心地がいいです。
聖地では、誰も彼もが祈るため、だけ!に生きています。
わたしの友人のタクシードライバーが言っていました。
「俺は、神(祈る)、仕事する、家族、それ以外は何もいらない。」
最高のバクティだな、と思いました。
インドでは階級制度があり、タクシードライバーは学校にも行けない人たちで、階級的には低い人々なのです。
でも、わたしは、真剣に、なによりも神を最優先して、それさえあればなにもいらない、と言う彼を心から尊敬しました。


インドの聖地では、「生きる、生活する」の優先順位の一番が「バクティ・祈り」なのです。
道端でお祈りしていても、どんなところで瞑想していても、誰もわたしを気持ち悪がりません。
石とエネルギーをつなげても、過去世の話をしても、根掘り葉掘り、興味本位で茶化す人もいません。
わたしのエネルギーを解放できるので、スピリチュアルな国は、やはり居心地がいいです。
「気持ちがいい」、という表現はとはちょっと違うかな。
気づき、学び、の中では苦しいときもありますから。
そこを越えると、ワンネスの愛の広がりが素晴らしいのですけどね。
でも、その学びの苦しみさえも、とても、幸せと感じています。
それは、過去世からの学びでもあり、神から与えられる、数々の奇跡からの気づきだったりいろいろです。
聖地にいる、すべての人々が祈ることで起こる、この波動は、日本では難しいです。
ですので、インドの聖なる場所にいると、この波動で、胸が震えて、自然と涙が出てきます。


はい。もちろん。
わたしも日本人に生まれたからこそ、日本にいまも住んでいます。
日本で、日本人として生まれてきた意味があることを知っていますので、これだけインドにご縁があっても、日本に住んで、日本人のために、がんばっています。
わたしも、世界一平和な国、日本に生まれて本当に幸せです。
世界一いい人の人種、日本人で本当によかったと思います。
(世界各国の方を相手にヨーガを教えていましたから、いろんな国のかたとお話させていただきまして、「日本人が世界一だ!」と思いました。)


わたしは日本人を誇りに思いますし、日本のことが大好きだからこそ、震災のボランティアや、亡くなったたくさんの日本の方々の慰霊の行脚にも、毎年、何回も行きました(行脚は独りで参加しました)。
わたしが日本人であるからこそ、こうして、日本のために祈ることができます。
わたしが日本人であるからこそ、インドの聖者の智慧や、ヨガの恩恵を日本の皆様にお伝えできるのだと思っています。
インド人になりたいとは、思ったことがありません。
というか、日本人がいいですよ、もちろん。
インドは、まだカーストもひどいですし、生活がとても大変です。
「インドに住んじゃおうか」なんて、冗談めかしていったりもするけれど、その意味は、日本人として、インドに少しの間住んで、もっと学びを深めたい、という意味であり、永遠に住みたいと思ったことは、一度もないのですよ。
わかってくださいいますでしょうか。


日本は、少しずつ、少しずつ、なのです。
少しずつ、変化していっています。
その少しずつの変化に、私たちヒーラーや、ライトワーカーは合わせて、光を広げていくのです。
わたしも、お弟子さんたちにも、その役目があるのですね。


あるかたが、「インドで自分を見つめてください」と言ってくださいました。
とても誠実なかたで、愛にあふれたかたです。
その言葉をお聞きして、果たして、わたしはそうなのか?と自分を内観しました。
わたしは、インドで「自分を見つめて」いるというよりも、「世界を感じて」います。
「自分」という個人的な枠ではなくて、です。
世界の中の、宇宙の中の、わたし、という存在の役割を、感じています。
「個人的な枠を越えて「あなた」が浄化されることで、あなたはもっと与える人となり、世界は浄化される」
と、はっきりと、毎日、繰り返し、メッセージをいただいています。
そして、その宇宙の中のわたし、という感じ方の中で、わたしが日本にいること、日本人として、生まれたことも、わきまえています。
本当ですよ。
わたしは恐れのない「鳥」ですから、ピンと来たら、どこでも飛んでいきますが、
いまだに、日本に住んでいるということは、そういうことなのです。
生徒さんたちや、ブログなどの一般公開するものには、説明が難しいので、
「インドが大好きだから、住んでしまいたい」と、ただ言っているわけですが、
インドは、やはりアセンテッドマスターたちに選ばれた国だけあり、滞在し、スピリチュアルな生活をすることによってしか、深められないものがあると感じます。
それは、事実です。
それが、わたしにとってとても学びとなるので、もっと長くいたい!と思わせるのでしょうね。
ただ、好きだから、という理由ではないですし、その、学びは、日本のみなさんのためにもなるということを、皆さんがわかってくださることを期待します。


わたしは、日本人に生まれた意味があり、だからこそ、こうして、日本で日本人のみなさまのために愛を広げています。
日本のことを責めている、のではないのですよ。
そういった、個人的なわたしの好き嫌いではないのですね。
日本も地球と一緒に、アセンションしていきたいです。
そのために、わたしも、私のお弟子さんたちも、時間をかけて、命を削ってがんばっています。
だからといって、インドが高次元なのか、といったら、そうではないのです。
インドがよくて、日本が悪い・・・・・という、問題ではないのですね。
インドにも足りないところがあり、日本にも足りないところがある、それはそれぞれ違うのだということ。


もう少しずつ、もう少しずつ、「宇宙・ブラフマン・大いなる力・愛・光 など」への意識が高まることが必要なのだと感じます。
わたしは、日本人として生まれた意味があることと同様に、こうしてヨーガに出会い、インドに導かれている意味があるからこそ、こうして何度も訪れます。
それは、日本を非難するためではなく、日本とインドの架け橋なのだと思っています。
そして、それは「犠牲的」なのではなく、それが私の喜びだから、行っています。


結論として。
わたしは、もちろん
日本を愛していますし、
日本人に生まれて、本当に、本当によかったと思っています。
外国に暮らしたことのある、多くの日本人がおっしゃるように、
わたしも、思います。
「世界を見て、初めて、日本の素晴らしさがわかる」
そう、わたしは、日本は世界一の国だと思うし、日本人を誇りに思います。
だからこそ、こうして、日本にとって必要だと思うことを、私なりにがんばっています。
わたしにできることは、祈ることや、エネルギーを広げること、愛の波動を高めること、ヒーラーを作ること、ヨーガを通して平安を広げること、内なる光への架け橋となること、苦しんでいるかたを愛で想って差し上げること、エゴをできるだけなくしワンネスを広げること、
など、派手なことはありませんし、わたしはまったく有名な人物なんかではないですが、
わたしにできることを、誠実に行っています。
それが、わたしのカルマヨーガであり、バクティーヨーガであり、
なにより、わたしの喜びなのです。

心をこめて。
合掌



posted by ユキ ラクシュミナラヤニ at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 《旅》インド・ネパール2013.11-2014.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする